野田洋次郎をフォローした上ミュートしてる話
俺は野田洋次郎の曲が好きです。
(以下、アメリカンな感じを出すためにNYと表記)
RADはもちろん好きやけどillionもめっちゃ聞くし、プロデュースした曲も聞く。
どういうとこが好きかは長くなるんでまたの機会に。
でも。
NY本人が好きかって聞かれるとむしろ苦手かもしれないです。
なんかSNS上でのはしゃぎ方とか言葉遣いとかその他諸々が俺の苦手なそれ。
晒してる部分が、じゃなくて、晒し方が。
ちょっと逸れますが、いわゆる信者はもっと苦手です。
NYがインスタで東北の一本松?を投稿し「合掌」的な言葉を添えれば、
そのコメント欄は便乗の嵐(みんながみんなじゃないよ)
○○。(←汚い言葉)
自分で決めろって散々いってきましたが、祈り方すら自分で決められない奴ははっきりいってクズです。
ちゃんと逸れたな。
で、そういうSNS上で自分を晒す行為ってすごく簡単やけど考えるべき行為やと思うんです。
得体の知れない奴がかっこいい音楽を作ってる。→カッコいい
自分と意見の違うツイ廃が音楽を作ってる→カッコよかろうが聞く気にもならない
ありえないことじゃないと思います。
何もしないってことは、何かした時の評価をより真っ当に受ける条件になり得ます。
でもこういう風にも思う。
「なんで、何かを口にした奴が、行動に移した奴が白い目で見られて、何もしてない奴が得すんねん。」
というわけで、俺もまだ答えは持ってない。
思ったことは発信したいけど、それ故にヘタな発言一つでみんなに俺のイメージを植え付けてしまって取り返しのつかないことをしてる気もする。
影響力、発言力、信用、それらを得ているようで失っているような気もする。
好きやと思ってフォローしたバンドのボーカルが自撮り魔やったら俺だってガッカリする。
太宰治がメンヘラツイートしまくってたら後世に渡って文豪とされてたんかな。
そんなわけで、NYに関してはフォローした上でミュートしてます。
俺にとってそういう人なんです。
そんなこと言うてる俺自身は、答えが持てん間は晒す方を取ります。
何も言わずに悩むよりぐちぐち言いながら悩んでみよかなって感じ。
ネコ!