眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

価値あるネガティブ思考[下書きシリーズ]

ポジティブ=正義みたいな風潮

ポジティブが正義みたいな風潮、根強いですよねー。

どれだけ悲観的でも最後には頑張って前を向かなあかんみたいな。

上を向いて歩こう涙がこぼれないように

的な。

 

ええやんネガティブでも

なんでがんばらなあかんねん

悩んでる人間にしかわからんものもあるやん

 

って個人的には思うし、

クソみたいな時間を過ごせば過ごすほど、

空っぽな勿体無い時期がある人ほど、魅力的な人間性を兼ね備えてるように思います。

自分を正当化したいだけかもしれないですけど。

人生順風満帆のポジティブ野郎にはあんま魅力を感じないです。

 

定期的に長文にわたってモチベーションを上げる文章をつらつら書き綴り、白黒に加工した背筋の画像をアップするアスリートより、

時々「だるい」の一言だけを発する謎に満ちた人の方が話してみたくないですか?

 

ネガティブの価値

俺自身、考えてみりゃ本気で何かしたことってそんなにないかもしれん。

結構ネガティブやし、時間の使い方の無駄さは半端ない。

てか基本自己嫌悪がすごいです。

何かをしたい自分と、考えるだけで勝手に結果を悟って動き出せず、それを責める自分。

何もしていないってことは他人から評価されるための鎧がほとんどないむき出しの状態やから、自分の気持ちを誤魔化しようもない。

感情が暇すぎて悩みに全振りしてしまい、自分の小ささに気がついてしまう。

 

そういう時に、あ、生きてる意味ってないんかもしれんとか思いがちなんです。

(生きてる意味はあるって今は思ってるけど)

 

でもそういう空虚な時間で得た思考や思想や発想は我ながらすごいと思います。

 

「もっと考えると」みたいな感じで悩みをつきつめることができます。

以前、(確かこの時も色々考えに考えてふと書き留めたんやと思いますけど)こんな下書きを残してました。

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(うわ充電やば)

人に言うことでもないし、「下手に知名度があるモデルやバンドマン」に嫌な顔されそうやから自分の中に留めてたんですけど、あくまで俺がその立場やったらそう言う勘違いをしてしまいそうってことですからね。

承認欲がすごいからこそ、それが満たされてしまうと弱くなってしまう気がするんです。

ここでも矛盾が出てきてしまったけど、俺は矛盾を背負って生きてるから。いいの。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

 

「悩める」ってめっちゃ価値のあることやと思うし、

その悩みを抱けない人からしてみればとても贅沢なことやと思うんです。

さらにはその苦しみを共有できていると思い込んでしまうと、

もうそれでええやん、解決。ってなってしまうじゃないですか。

貴重な自分の葛藤が、生まれるはずだった思考や発想が、偽物の共感によって潰えてしまう。

 

そういうことに俺は気づきました。

ネガティブ故に。

 

納得のいかない自然の摂理

ポジティブがいいとかネガティブが悪いとかそんな価値観はクソやと思います。

でもネガティブによってたどり着いた思考や発想を次にどうするかって言うと生きるために使うわけです。

結局何もしないと生物は生き続けてしまうんです。本能によって。

 

これが地味に俺の中の謎で、生か死か、この二択が存在しているはずやのに、

「何もしない=生」ってことは、神に?宇宙に?まあ何かしらに、ポジティブであることを強いられているような気がするんです。不本意やなあ。

 

でも、まあしゃあないですよね。

実感として死ぬのは怖いし、嫌やし、悲しいし、そこに抗う努力は虚しいだけです。

自殺なんて、「死に対してポジティブ」でなきゃいけないわけです。変な言葉やけど。

 

まとめ?

じゃあ生きましょう。と言うか、生きることになるでしょう。

そうすると、

ネガティブが精神衛生上良くないってことははっきりしてるわけやし、

それが体に悪影響を及ぼすこともわかってる。

結果、生きてる限り最終的に人間はポジティブに向かわなあかんし、

そうじゃないと生きてることそのものが辛くなる。

どれだけ悲観的でも最後には頑張って前を向かなあかんわけです。

 

みて。俺の嫌いな文言を後押ししてしまってる。

 

でもこの長い回り道を経てこの文言を見た人には、同じアンダーラインが引かれた文章でも意味合いが全然違うことに気づいていただけると思います。

 

自然の摂理として人間は最終的にポジティブに向かうだけのことであって、

俺としてはそれが正義とも悪とも思いません。

下を向いて歩いてもいいし、いくら振り返ってもいいし。

 

俺は、ネガティブを肯定する存在としてい続けたいと思います。

その人が次のポーズとしてポジティブをとることになるように。

どこまでもネガティブでも、悪いなんてことはない。

と、あえて言える存在でありたいです。

 

これは他人への救いでもあり、自己肯定でもあります。

 

ネガティブでいよう。