眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

21年

21になりました多分。

日本時間かドイツ時間かどっちが正解?って今日本にいる父から来たんやけど、わからん。

で、

ハタチの俺は何をしてたか。

あんま無いですねー印象が。

記憶力はいい方だと思うんですけど。

19から20にかけては、体調崩して寝てました、外の天気は悪くて、なんかこのまま大人になるのもなって思って23:58から腹筋してました。

体調も悪いし日またぐ前にくたばったけど。

 

そういえば年末も同じことを思いました、「2017年は俺にとって何もなかったな」って。

自分でアクションを起こすこともしなくて、

ひどくそれを後悔したというか、

何も感じていない自分にショックが重くのしかかってきて、

数ヶ月ぶらぶらと不安定な精神状態でしたw

[下書きシリーズ]って書いてますけど、多くの下書きを溜め込んだ時期やと思いますw

 

普通ならこういう節目で気合いを入れ直して、「新しい俺は、、、」的なことを思うんでしょうけどそういう考え方向いてないし、ネガティブな自分が嫌いなわけでも無いんで、こういう人間性を抱えられる自分をそれはそれで受け入れて、生きていこうと思います。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

やりたいことをやりたい時にやりたいようにする。

やりたいことをやらなきゃいけないことにはしない。

そんな感じで行こうかなと思います。

 

 

新しい自分とか過去の自分とか、時間軸で自分を切り分ける考え方好きじゃ無いんです。

あの時の自分が今の自分を作ってるのを知ってるので。

それもまた記憶力がいいから覚えてるだけなんでしょうけど。

「あの日の自分が許せない」とか、思ったこと一度もないです。

思ったふりをしたことはあるけど。

あの日の自分の感情を今の自分でも十分理解できるので。

だって自分やし。

上手く仲良くなれんかった友達のこととか、好きやった女の子のこととか、弟や妹への罪悪感とか(これはめっちゃ強い)、嬉しかったことも悲しかったことも、今でも嬉しいし悲しいし切ない。

 

成人式の日に、中学生の時の自分から手紙をもらいました。

「今のあなたになるために中学生の自分は、いろいろ頑張ってます。どうあろうとあなたを目指します。」的なことが書いてあったんですけど、

いや、それ書いたん覚えてるしw

まるで未来の自分を他人に見立てて手紙書いてる自分が恥ずいだけやんw

って、その時の感じを思い出して恥ずかしくなっただけでした。

手紙はその日の同窓会の会場で酔っ払って無くしました。

 

見た目だけでなく、人との接し方や見せかけの「内面っぽい部分」も含めて、絶えず俺の外見(そとみ)は変わっていきますが、ほんまにあん時の俺は死んでないです。

幼小中高大、それ以外のところで関わっていた全ての人に向けて、

また会いたいし話したいです。21になれました。あざす。