眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

世界は狭いけど、いっぱいある。

一般的に世界とは一続きに繋がっている共通の空間のことです。

全ての社会の集合、全人類の社会のこと。

 

最近、もはや海外も身近なものになり(現にこうして日本のみんなと普通にやりとりできてるし)、「世界って狭いなー」みたいな考え方が広がってるように思います。

 

確かにそれはそうで、ドイツの語学学校に行けば日本人はいるし、その人たちとしばらく話してたら必ず誰かしら同士で「マジで?◯◯出身だったの?」みたいな会話が始まってます。

 

やから、実際海外にいても感じることです。

世界って狭いなあって。

 

でもそういう風潮に対して、だからって日本の常識が通用するかって言ったら、んなわけはないんです。当たり前やけど。

 

当たり前の感覚が通じないっていうことは違う世界にいるような感覚になります。

だから、挑戦とか本気とかそういう言葉を日本では簡単に使えたけどなんか恥ずかしくなってきます。

 

マセていく周りの同級生に食らいつくように必死に背伸びしていた小学校高学年の頃みたいな感覚になります。

 

社会の数だけ「常識」や「当たり前」はあって、

そこには必ずそれらに縛られた「挑戦」や「努力」という概念が存在します。

これらを包括して「世界」は分かれているように思います

 

国だけが世界を決めるものじゃないです、業界、年齢、性別、いろんなとこで世界の境界は分かれています。

 

全く違う世界に身を投げ入れた時、頑張るってどういうことか、

その頑張りがそもそもどれだけ環境に囚われたものか、自分の中がぐらっぐらに揺れます。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

目指していたものが、夢が、所変わればすごくちっぽけなものとして扱われていて、なんとなく不安になることもあると思います。

そして、これはなんとなくですけど、ものすごい勢いでこれから日本には「違う生き物たちの価値観」が押し寄せてくるような気がします。 

 

大事なのは結局どんな自分でありたいかってことで、他人への憧れや良いとされるものにしがみつくと、いとも簡単に振り落とされるような気がします。 

 

そういう意味では、世界って広いんちゃうかな。

 

いや、多い。世界は世界だらけです。