眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

おぼえてる?

俺の好きな人曰く俺は、今を生きるリアリストらしい。

 

でもよくよく考えてみると、過去や、記憶や、思い出や、そういったものが大好きやったり大嫌いやったり、とにかく今じゃない所に心揺さぶられながら今に向き合ってる。

 

それ故に結構どうでもいいことの端々を覚えていて、他人と共有できないことに戸惑ったりすることもある。

 

もっと戸惑うことがある。

 

これまで自分の周りにいた人間と、ごくごく自然に、さりげなく、関わりがなくなって行くこと。

悲しさや切なさを微塵も残さずに。

 

みんなはおぼえてる?

おぼえてたらそれでいい。

この先ほとんど無いであろう何かのきっかけが、やっぱり無くて、一生をそのまま終えても、まぁいい。

 

この特性が、よかったことももちろんいっぱいある。

自分を許せること。自分を叱れること。

後悔や苛立ちは誰にでもつきまとうしあって然るべきやけど、おぼえていればいつでもその時の自分の気持ちに立てるし、許すことも叱ることも自分で決められる。

 

その時の自分のことは、責任も、見返りも、今の自分とイコールだということを実感できる。

 

これも今の自分が作り上げた過去への解釈かもしれんけど、少なくとも他人も観測しているような自分の行動に後悔はしてないし、その時の自分をわかってあげられる力はあると思う。

その時の責任も背負える。

 

最近、LINEの「最近更新されたプロフィール」をよく見る。

日々色んな人を思い出し続けてその人の今を想う。

そう思われる人間でありたいから、そう思える人間でいようと思ってる。

 

過去を今にし続けていたい。

でありながら狂おしいほど今に夢中。

 

空想への憧れは常に現実にある。

 

すべては今と、現実に、変換される。

 

それが俺にとって理想的な、「今を生きるリアリスト」。