眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

小学生と宇宙

なんかお久しぶりです。この感じで文章書くん久々です。

 

ふと思ったことなんですけど、義務教育って地味にすごいことしてなかった?って話。特に小学校。

 

毎朝7時とかに起きて、大した距離でもないのに集団で登校して、偉いなあ。

何がすごいって、せいぜい半日の間に国数英社理に加えて道徳学んだり芸術に触れたり身体動かしたりしてるんですよ。。。

やっぱり全ての知識の礎は義務教育に詰まってるような気がします。当たり前やねんけど、気付かんかった。

その頃の生活って、健康で文化的な最低限の生活の全てのエッセンスが凝縮して詰まってた気がします。

 

何かに決め込んで向き合って戦うのが、大人なんかもしれんし、そういうもんかなとも思うけど、実は若さを失ってるんじゃ無いかとも思う。

 

サカナクションが好きなんですけど、ボーカルの山口一郎って人が、「人には浴びる遊びをする人と探す遊びをする人がいて、今の人は浴びる遊びばかりしている。」って言ってまして、、

この言葉の真意は、わからないものからわかる要素を探してその喜びや意味を知るという事だと思います。

昔はインターネットがなかったから訳も分からないCDや本を買っては、いいとも思ってないのに、勿体無いからいいと思う部分を見つけ続けようとしていた、らしいです。

 

結局彼は、浴びる人たちが大多数の世界の中で、いかにマジョリティに溶け込みながらマイノリティにも刺さる音楽を作るかということをテーマにバンドをしているらしいんですけど。(カッコいい)

 

彼はある意味諦めているというか、受け入れているというか、そうして自分の立ち位置を見つけていますが、その話を聞いた上で俺自身は、自覚できる限りは探す遊びをしたいなって思いました。で、飛躍してる感じあるけど、そう思った時にすごいことしてたなってなったのが「小学校」。

毎日クソめんどくさいことに付き合わされる。ある時は文章に、ある時は数式に、ある時は図に、ある時は音楽、絵画、友達、説教、、、、、などなど、、、

 

若さって、概念で語ると、そういう教養に対する姿勢のことを言うのかなと思います。

だから自分の興味関心に突っ走るのは確かに専門性を高めてくれるかもしれない、お金になるかもしれない、でも人間としては?、俺は若さを保っていたいです。

 

戻りたいとは言わんけど。

 

昨日は常体、今日は形体、所によっては今日も常体。

こんな文章作文やったら真っ赤になって返ってきますね。