眼球越しの私の世カイ

俺越しの「世カイ」の話

感情は拭い去れない。

ぼんやりしててこびりついてて、でも揺れてて、悲しさの正体を悲しさと知れた時には笑けてきたり、結構そんなもん。

俺たち自身も、人との関係性も、思考も、一生も、宇宙も、言ってしまえば時間というスタートラインとゴールテープで区切られた中の「振動」。

ムダかな全部。

揺れていくってわかっていれば、無駄とか割り切ってしまえば、抑揚も小さくなっていく。

そりゃ正解かはわからんけど、大人ってそういうことかも。

喜びも悲しみも振り幅が小さくなってきて、求めた「ラク」は「楽」では無かったりするんかも。

 

まあ大丈夫やろ。俺ら若いし。

んで、なんとなく自分の中でめちゃくちゃ落ち込んでた時期とかもあったけど、意外と周りにはバレてなかったりする。

悲しみも喜びも寂しさも、本気で隠すと案外隠しきれてしまう。

 

ただただ考えるって、それだけじゃ意味を成さんかもって、そいつ独特の言葉でそいつの寂しさを目にした時ハッとしている自分に気がついて思った。

俺はお前らのことを考えてるけど、お前らが俺のことを考えてるなんて、ちゃんと感じてなかった。

 

じゃあ逆の気持ちもコレか。

もっと簡単に、伝えていかないとダメか。

諦めて切り捨てる覚悟を持つか。

 

どちらも選ばずに、選ばないという選択に引っ付いてくる答えを選んでしまうのか。

 

止まない雨はないとか、空けない夜はないとか都合良いわ。

続く晴れもないし、暮れない昼はない。

 

とりあえずマイメンたちの明日が晴れたらいいな。

なんか好きになったわこの文章。

 

純粋じゃなくても良いよ。

純度100パーで今はこう感じれてるなって思えたことなんて一度もない。

ぼんやりしてこびりついてて、でも揺れてる。

 

大丈夫ですよ。