俺が嫌いな人は世界で1人[下書きシリーズ]

こんちは。クヮイです。

 

今母の実家に来てて、まぁものすごい田舎なんですけど、こっから日本まで旅立って夫を見つけて、一生を共にする決心をして今日本で英語教室を営んでいると思うと、行動力やらなんやら、本当に母は凄いなと思います。

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引用:わいのインスタストーリー(フォローして)

 

まぁ今回は母を褒める回じゃなくて、俺を褒める回です。

 

ツイッターの話。

日頃から思ってはいるけど尖りすぎてることとか、なんか恥ずいことって、呟かずに下書きにとっておいてるんですけど、忘れた頃に眺めては自分で共感してるんです。

アホですねやってること。

 

まぁとはいえ自分が思っていることに違いはないですし、これから[下書きシリーズ]としてちょいちょい小出しにしていこうと思います。

 

で記念すべき第一回目はこちらをピックアップ。

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「好きなもの」についてです。

 

語弊があってはいけないのでちゃんとフォローしておくと、俺が公式にちゃんと嫌いなのは全人類の中で坂上忍だけです。

それだけは言わせて。

 

他人に対して、バカやなとか浅いなとか思ってしまうことは正直あります。

が、気持ちはわかります。

んで、その上でほんまの深層心理においてのその人はめっちゃ賢いんやって思うようにしてます。これもまたブログのネタにしたいな。

 

 てなわけで、

流行に流されてしまう人の気持ちも、通ぶってしまう人の気持ちも、なんとなくわかるので、嫌いってのはちょっと言い過ぎです。

気持ち悪いけど。

 

過去に偏見:漫画村叩く奴は国際交流サークルにいそう。 - 眼球越しの私の世カイこちらの記事で、

正義か悪かは自分で決めろって言ったと思うんですけど、基本的には同じことを言いたくて、

好きなものにおいても、好きか嫌いかは自分で決めろよ!ってのが基本的な俺のスタンスです。

 

しかしややこしいのがここから。

 

わかりやすいのが音楽なので音楽で例えますが、

好きか嫌いかを自分で決められない世間↓

菅田将暉好きやから菅田将暉が歌ってた曲好きぃ。菅田将暉が歌ってた曲好きやから米津玄師好きぃ。」

 

好きを自分のものにしたがる人↓

米津さんがボカロPとして活動しだした当初「ハチって知ってる?めっちゃええで。聞いてみ。」

米津さんが米津玄師名義でオリコンとか乗り出した最近

「○○(マイナーインディーズバンド)って知ってる?めっちゃええで。聞いてみ。」

 

一方はわかりやすく腹立ったと思いますがもう一方はわかりにくかったかもしれません。

すみません、あんま米津さん好きじゃないから例えとして出すにはふさわしくなかったかも。

 

後者は「知ってる?聞いてみ。」って言ってマウント取ることが目的になってるんです。

それってめっちゃきしょいことやと思います。

知らん間にそういう人の脳内では

みんなが知ってる=価値が腐ってきた

ってなってます。

 

結局両者に共通しているのは「好き」ってことからかけ離れているということです。

 

評価されているものを好きになることも、アンテナを張って自ら好きなものを見つけ出すことも、否定したいわけじゃありません。

 

オリコン知名度以上に自分の感性で好きと言える人が増えたらいいなってそれだけのことです。

 

その上で、皆さんの好きなものの話を誰かに聞かせてあげてください。

てか俺に聞かせてください。

本気で何かを好きと言える人の好きが向いてるものにめっちゃ興味あります。

 

あ、んで、

「自分の感性」とやらも小さい頃から無意識に耳にしていたり目にしていたものに依るんじゃね?とかそんな俺の意見ぶっ壊すようなこと言わんといてや。頼むで。

 

ほなねー。

代弁

僕には何もない

飛び抜けた強さもない

コミュニケーション能力もない

芸術的な才が無い

発想力がない

勤勉さがない

何より何かになる意志がない

僕は考えることしかできない

何もないのに何かをだれかへ口にすることしかできない

そうして何もない僕を、せめることしかできない

それを愛してくれるひとはいるけど

僕は僕を愛し切れない

自分の言葉を理解してはいるけど

僕自身で納得し切れない

 

綺麗な終わりはない

僕には何もない

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サークルなんてG行為

サークルのことについて書こうとしてるんですが、まとまらん!

ほんまに。4回くらいは書き直した。それは盛った。

 

というのも、俺がサークルというものに所属してなかったら、やっぱり正直見下してたやろなーと思うからです。

 

俺が所属してる(た?)サークルは、いわゆる軽音サークルです。

自分たちで作ったわけでもない曲をコピーしては、ほぼサークル員しかみていない前で演奏して、見て、聞いて、はしゃぐ。主にはそんな感じやと思います。

 

お前らの存在意義って何やねんって言われたらむずい。

 

ただ、大学っていうでっかいくくりの中でサークルに所属するということは、世界の縮図に身を置くことだと思っていて、言うなれば、宇宙から見て地球の、人類の存在意義って何?って聞かれているようなもんです。

 

ごめんなさいかっこつけました。

 

サークルなんてオナニーですね。どう考えてもそうです。

自分たちが楽しいだけ、気持ちいいだけ、外から見れば迷惑さえかけんかったらお好きにどうぞって、そういうコミュニティだと思います。

 

コピーバンドやから、どれだけ頑張っても本物にはなり得ない。劣化版。

 

ただ、捨てたものじゃないよってことを少しでも伝えたい。

 

それから、どんなすげーミュージシャンのどんなすげーパフォーマンスも、自分自身で自分の心を掴んだ瞬間には敵わない。

 

自分がミュージシャンでもないくせに最近よく思うことなんですが、「何でこの人らはライブするんやろ」ってことです。

 

本気でミュージシャンやってたら熱量も、言いたいことも、音源に全力でぶつけているはずですよね。

その上で新鮮味のある今の思いをぶつけるためにライブやるんだというならわかりますけど、器用に音源と同じことをライブでもしてる人たちは少なくないし。

もっと言えばその時々じゃなくて「この人らのライブといえば」みたいな雰囲気が毎回できてることもあるし。

 

ライブハウスやらフェス会場の空気を吸いに行ってるならわかるけど、これ、演者は何を価値として与えていて、観客は何を価値として受け取っているのかなって、後ろの方で冷静に思ったりもします。

 

その点サークルは頭は悪い感じやけどお互いにライブをやる理由も見る理由も明確で、ただただ一緒に楽しい空間をシェアしたいって感じで、カッコよくすら思える時があるんです。

自分の力で自分の心を動かした時、めちゃくちゃ感動しまっせ。

ああ〜〜。。。もうなんか浅いし。だる。

 

まあいいや。

 

ま、でも、オナニーでも何でもいいんですよ!(暴論)

前の記事でも言ってますけど、大事なのは自分自身のごく浅いところに転がってる

「実感」です。

 

実は未来は決まっていて選択しているつもりの行動一つも運命に逆らえてないだとか、この世界は仮想現実のごく一部だとか、うんたらかんたら、、、そんなことが仮に正しかろうと、真相がどうこうよりも実感が大事でしょ。

「選択次第で未来はどうにでもなる。」その「感じ」こそ本物やと思います。

 

要するに、正直、実感として俺にとってこの世界には70億人も人間はいないし、サークルっていう一見しょうもないコミュニティに飛び込んだことでそこは俺の世界になった。

俺にはその中で求めてくれる人がいて、存在意義があって、時にはステージから世界に呼びかけることもできる。

そんな実感を与えてくれるんです。

 

こんな俺は「ちっちゃいとこで満足してるダサいガキ」

ま、それは俺以外から見てそうなのであって真理なんやと思います。

だがそれでいい!

それが俺の「実感」やからです。とんがりのみんなありがとう。

 

結局サークルの良さについてはあんま伝えられんかった気がしますねー。

また書き直したいとこやけどこれはこれでいいや。こういうこともある。

俺の眼球越しの世カイの話なんで。

 

 

 

 

 

俺の世界は俺のもの、お前の世界も俺のもの

Hallo Kai Desu.

ドイツに来て丁度1週間が過ぎました。

ブログ始めたんも1週間前か、色々あったなーって感じです。

 

このタイミングでブログ名変えてみました。

題して「眼球越しの私の世カイ」

俺にしかない偏見や穿った思考にまみれた、俺越しの「世カイ」の話ですよーって意味でつけました。

まあ某ハッシュタグを小馬鹿にしてることは言うまでもないですけど。

 

てかもはや馬鹿にする勢力が強くなり過ぎてて最近見ないですね「ファインダー越しの私の世界」。

強い勢力に加担すんのダサいからやめよっかな、てかそんな悪くもないように思えて来たわこのハッシュタグ

あんま萎縮しないでくださいよ、ファインダー越しのあなた さん。

 

とかいう心の中の押し問答もありつつ。

 

この「世カイ」の神は俺なんです。

で、俺が認知する世界はもうすでに「世カイ」なので、「世界=世カイ」すなわち「世界の神も俺」です。

 

だからなんやねんって話やけど、俺はそう思って生きてます。

 

世界を作ってるのは自分やと。

 

にしてはそこまで俺に優しくもないんですよ世界って。

黙ってみんな俺を称えてくれよって感じですけどそうもいかないようにプログラムされてるのはなんかしらその意味があるんでしょう。

 

意味で思い出した話。あ、こっから逸れます。

 

よく「生きてる意味なんか結局ない」って言う人いますけど、俺の考えでは生きてる意味は絶対あります。

 

「生きてても無駄と割り切れば本気で楽しめる」とか言うつもりなんですかね、無駄ってほんまに分かりきってたら俺なら生きる気なくしますけどね。

割り切れてないからその都度幸せなんですよ。

割り切れてないから「生きてても無駄」なんて割り切ったフリできるんですよ。

 

何を隠そう自分自身がそう思ってた(つもりの)時期が長かったので言えることなんですけどね。

 

ファッション悟りはやめましょう。

結局大事なのは自分のごく浅いところに転がってる実感です。

 

俺らは今が大事やから卍

ツレが居ればええから卍

 

それ多分正解です。

なんか見下しててすみませんでした。

でも俺はちゃんと考えに考えてそう思った。

 

深過ぎて浅いっていう。

 

生きてる意味の話については一応ちゃんと根拠もあるんですけど今日は語りすぎんように置いときますわ。

 

忘れたらごめんなさい。

 

おやすみなさい。

惰性でする継続は本当に愚かか

どーもーカイです。

 

突然ですけど、ポエトリーリーディングって知ってますか?

んじゃあ、morohaって知ってますか?

 

最近モンストのCMとかでよー聞くあの声の人の本業なんですけど、メッセージ性がめっちゃ強いんですよね彼らの曲。

 

ていうか喋ってるんで、そらほぼメッセージですからね、あたりまえなんですけど、恥ずかしいようなことを恥ずかしいぐらいの勢いでパフォーマンスしてるユニットです。大好きです。

個人的に感動したライブ映像2014.10.12 MOROHAJP 三文錢 - YouTube

 

でまぁそんな彼らの曲の中に四文銭っていう曲があるんですけど、あ、貼っておきますね。

MOROHA『四文銭』Official Music Video - YouTube

 

曲の中でおそらく同じ業界で夢半ば、でもダラダラと続けてる同業者に喝を入れるみたいな詞があって、実際書きますと、

「惰性でする継続は愚かだ。さっさとやめたら?次へ羽ばたけ」

ってものなんですけど。

 

印象に残るフレーズだからこそ頭で反芻してるうちに、ん?って思ったんで「惰性」について意見します。

 

俺と彼では文脈が違うし、言いたいことがそもそも違うと思うんで別意見というよりは状況が違うと思って聞いてもらいたいんですけど

 

俺はこの「惰性で続ける」ってクソ大事やと思うんですよ。

 

物事を取り組むことにおいて1番難しいことは「始めること」次が「続けること」そして最後が(というか続けることのレベルアップやから3番目じゃないかも、もっとむずいかも、まぁええや)「惰性(習慣)ですること」だと思っています。

 

みんなはこれまでの人生で始めてからずっと続けられたことって何かあります?

歯磨きとかですかね。

 

でもそういうのって意識してやってることじゃないですよね。

息みたいなもんで。

惰性ですることってめっちゃ重要なことが多いと思うんですよ不可欠というか生活に欠かせないというか。

 

惰性になってるってことは、それは生きるために欠かせないものになってるってことだと思います。

 

じゃあさ、例えば曲を作って歌うことが、絵を描いてみてもらうことが、文章を書いてみてもらうことが、惰性(生きるために欠かせないもの)になってたらメッッチャ素敵じゃないですか?

ただ、時々その大切さに気がついてよし、頑張ってこって思えることが大事ですよね。多分。

 

そもそも生きる事が惰性やっちゅーねんって話で、生まれてからここまで、惰性できましたやんか。

途中で何かにおいて全力出そうが、それはカーリングでいうとこのブラシでおもっきり擦ったぐらいの出来事で、ストーンから羽が生えて飛び立つわけじゃないんですよ。

うん、なんやそれ、あんまいい例えじゃないな。

 

とりあえずね、J popの歌詞にありがちな綺麗なメッセージが人生の正解かって言ったらんなわけないんですよ。

 

みんな人生の節目節目で、例えば卒業式で、振り返りツイートとかするじゃないですか、んで綺麗事のテンプレに行き着いてしまう。

それはある種考えが侵されてると思います。

時に冷たくてリアルで生々しい現実感ある言葉の中にステキな意味が隠されてるかも知れん。

そういうのを探していきましょ。

 

その気づきを提案できる人間になりたいなって思います。

 

とはいえ普段考えまくってる俺も結局行き着くのはJ popにありがちリリックってのはほんまにあるあるです。胸糞悪いわ。

 

それで、結局何が言いたいかわからんし、明らかに気合の入ってない今回のブログですが、これは惰性への第一歩なんです。

 

こういうのもあっていい。

おやすみ。

偏見:漫画村叩く奴は国際交流サークルにいそう。

ライン川のほとりからどーも。カイです。

最近髭伸ばしてます。

森鴎外目指してます。ドイツだけに。

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ちなみに森鴎外の子供らは元祖キラキラネームとか言われてるらしいです。

ドイツへの留学経験がそうさせたらしいです。

個人的にキラキラネームつけちゃうような親だけにはなりたくないんで、割と心配な副作用です。

 

なんの話やねん。

 

今回は漫画村とかミュージックFMとかそっち系の違法無料コンテンツについて意見を述べたいなーと思います。っていう話でした。

思い出しました。

 

ていうのも完全に弟のブログのネタパクってますけどね。

俺も、音楽で食っていきたいみたいな人間は周りにたくさんいますし、音楽は大好きなので自分なりに意見したかったわけです。

お許しください。

 

基本的にはダンと意見は一致していますし、彼は音楽をつくっている当事者でもあるので説得力があると思います。

そういうわけで興味ある方は引用リンク貼っておくんでビャーっと飛ばしてそちらもどうぞ。

ついでにダンのバンドBlume popoのMVもどうぞ。

 

では、そろそろ本題に入りますね。

この辺で森鴎外の天ドンぶち込めばまたダンが褒めてくれんのかなって思うんですけど、森鴎外情報に乏しいので強引にぶち込みます。マジ舞姫

 

んで、漫画村やらミュージックFMやら、無料コンテンツについて、大前提に言えると思ってるのは作った人の納得が大事ってことです。

ですから、当事者の方々が対策を取るならそれは正義だと思います。がんばれ。

ダンのブログでいうとこの転売対策の電子チケットがどうこうみたいな動きとか、です。

 

ただ、めんどくさそーなおじさんツイッタラーやら正義感ぶったツイ廃大学生のやたらめったらそれらを叩く風潮は個人的にはいただけないです。

コンビニの募金箱には募金しますけど、大学生がやってる国際交流サークルには募金しないタイプなので。

 

俺はどんな正論にもどんな綺麗事にも違和感を感じます。

なぜなら、自分でそうだと思って拡散してる人間はたかが知れてるから。

国際交流サークルも、漫画村叩きも、根っこで熱意をもって発信してる人間はたかが知れてると思います。

 

たくさんのリツイートが、いいねが、正しさの象徴だとみんな勘違いして自分の意見を腐らせてるように思います。

 

正しいと思ってた先に独裁者がいたらどうします?多様性はやっぱり大事です。

間違った意見、尖った意見は必要です。

なので極端な題でブログ書いてますおなしゃす。

 

じゃあミュージックFMは正しい!っていう方向に頭を捻じ曲げて語ってみますね。

 

そもそも音楽への愛について、金も払って無いのに語んなってのはよく聞きますが、金だけ払って作者が伝えたいことの根本にまっったく興味を示さず(っていうか深いとこを探ろうともせず)フェス行ってはウェーイ、みたいのも結構キモいと思ってます。

イケメンバンドマンにめちゃくちゃ金貢ぐキッズを見てみてください。キモいでしょ?

 

金は払ってないけどより深く理解しようと努力し、愛を持ってその音楽や作品に向き合ってる人はいるでしょう。

不思議なもんで、残念なもんで、そういう場合もあると思います。

 

でも!「貨幣」には「価値尺度」という機能があります。

要するにCDや漫画についた値段は「価値」そのものなんです。

それを無料で見聞きしていては、価値を知らないのと一緒とも言えます。

 

まぁ同じものをただで得るか金払って得るかだけの違いやから気持ちの問題とも言えるけど、本質的にはそうじゃないですかね。

 

あと気持ちの問題は大事やと思います、俺らは気持ちで構成されてますから。

やっぱりただで聴いてるミュージシャンに大好きですとは言いづらいでしょう、そこが大事です。

 

あれ、普通に反対意見になってもうた。

マジ舞姫

 

もう段々何言いたいかわからんなってきました。

 

とりあえず、正義とか悪って存在しないと思うんです、ただ、個人個人の中にそれっぽい基準があって、それらの共通認識が法律であったりなんだったりやと思います。

なので、共通認識である法律を犯してる「違法」無料コンテンツはやっぱり悪だと思います。

が、道徳とかそういうことにおいて大事なのは自分が自分で正義か悪かを決めることです。

 

世の中が決めたことをのみ込むんで納得したフリをするのはしょうもないと思います。

 

自分で決めましょう。

 

あと、ちゃんと頑張って自分らの音楽で生きていこうって思ってる奴らが近くにいるとやっぱCDは買いたくなります。

 

活動が苦しいならいろんな方法を考えてビジネスとして自分を売り込む方法を考えたらええのにとも思いますがそこは弟ダンくんが言及してくれてます。

 

ツイッターに、世間に、自分に、洗脳されないように気をつけていきましょう。

幸か不幸かどうかは自分で決めてください。

 

赤貝、ミル貝、森鴎外

 

 

https://t.co/B2cFBIBsce

https://youtu.be/d0HItQb9K4A

https://youtu.be/6ngiJtsToH4

Kai Lukas Yokotaとドイツ

成田空港におります。

イヤホンのプニプニをなくした。

ショック。

ドイツにプニプニ売ってるかな。

 

というわけで、今日からドイツに行くんですけど、今回はドイツと自分について現時点で思うこととかグチャグチャと書き綴ってみます。

追記:書き終わったとこですけどマジでグチャグチャです。でもいいこと書いてます。読んで。

 

母がドイツ人で5人兄妹なので、おじさんおばさんがいっぱいいて、いとこもいっぱいいて、(しかも1人はギリシャ人だったりします。)

幼い頃から多言語に囲まれて育ってきました。

 

おかげで小学校低学年の頃まではいわゆるバイリンガルでした。

耳が肥えていたので、人より英語が得意なのも環境の力は大きいと思います。

そう思うとこれまで入試等で特に大きな苦労をしなかったのもひとえに環境のおかげだったのかも知れません。ラッキー。

 

ですが、今俺は実はほとんどドイツ語を話せません。

何言ってるかわかるのに言いたいことが浮かばんし、口が動かんし、ほんま、結構辛いです。

音楽聴きたいのに右のイヤホンのプニプニがないぐらい辛いです。

 

ドイツ語とカイの人生

上記のようになりだしたのは、いつからかなーって考えてみると、思春期というか、反抗期というか、自我が芽生える時期を節目に段階的にそうなってきたと思います。

 

幼稚園〜小学校低学年

「ドイツ語拒絶期」

最初は幼稚園年長から小学校低学年にかけて、

「ドイツ語拒絶期」が来ます。

それまで家でドイツ語で話しかけてくれていた母に反抗するように、頑なに日本語で返答するようになりました。

 

多分ですけど、初めてできた周りの友達と比べて特殊な自分の家庭環境が恥ずかしかったんだと思います。

 

よく大人たちには「2ヶ国語も話せていいね、かっこいいね、将来楽しみだね」なんて言われてましたが、その頃の俺にとっては日本人の友達がいる小さな社会が全て。

 

その中でみんなと違うことなんかちっとも嬉しくなかったしかっこいいなんて微塵も思ってませんでした。

 

子どもは正直なので、「ドイツ人」という言葉の響きだけでちょっかいをかけられることもしばしばありました。

 

今になってみれば褒めてくれてたんだなと思いますが、5年生か6年生の時女子たちに会うたび長い睫毛を指摘されて、それが嫌で、切ったこともありました笑

 

まぁそんな自分のどこがいいんやと、

みんなと一緒がいいなって思ってました。

みんなお年玉とかも倍近くもらってるしね。

 

とまぁそんな感じでだんだん家庭での会話も日本語だけになって行き、ドイツ語を話す機会といえばドイツに行った時くらいになりました。

 

それでもまだ低学年〜中学年の頃は大人への恥じらいがあまりないのでドイツではあってるかもわからんドイツ語を使いまくって滞在期間中に勘を取り戻してました。

 

小学校高学年〜中学卒業

「わかるし思い浮かぶけど話さん期」

で、高学年〜中学卒業くらいの時期なんですけど、この頃を境にドイツでもあまり自発的にドイツ語を話さなくなったと思います。

大人になりたいが故に下手なことを言えんみたいな、そういう時期です。

例えるなら、Twitterであんまり思想とか語ってたらイキリオタクとかメンヘラやと思われるから黙っとくみたいな感じですかね。違うか。

 

現在

「見た目は大人、頭脳は子ども期」

で、そうこうしているうちに高校も卒業してほんまに大人になってしまいました。

 

あの頃「特殊」を笑っていた同級生たちも必死こいてお金を貯めては海外に行くインスタグラマーです。

いや、インスタ俺も大好きですけどね。

昔は目にもとまらんかったものに憧れるって、よー考えたら滑稽でしょ。

ドイツ人やのにドイツ語話せへん方が滑稽ってか、やかましいわ。

 

言語力に関しては、もはや未知です。

だって話さんもん。てか出んのやって。

なんでわかんのに出んのや。不思議。

 

向こうの人の中にも、悪気はないんですけど、話せないからって思考も若いと決めつけて接してくる方がいます。

 

日本でもカタコトの外国人(に限らず若者言葉とか話が通じない人とか、最近だとみやぞんさんとか)を見て笑う風潮ありますよね、実際かわいらしいしおもしろいけど。

でも言語に関係なく他人って案外賢いですよ。

 

「大人」なんで、その辺のプライドは捨てて、話し始めて半年の子どもみたいなドイツ語でどこまでいけるか、自分を試したいなって今は思っています。

 

結局思うこと

ドイツと自分の話をしようと思ったらほぼ自分の人生を語ってました。

 

で、ここまではただの歴史です、長かった。

 

「思うこと」を言いますと、

結果的にいまドイツ語を話せない自分ですが、俺はドイツ人であることにも、日本人であることにも同等に誇りを持っています。

ワールドカップどっち応援したらええねんって感じ。

 

苦悩してきた歴史が、今の自分を作っています。

たくさんの顔を持つ自分が、いろんな人を理解しようとする心を持つ自分を育ててくれたと思っています。

 

1度も住んだことはないけど、ドイツが俺を育ててくれました。

そんな場所でこれから住むんです。

 

今は大切な人と離れただけの宙吊り状態でめちゃくちゃ寂しいけど、これから待つ生活を思うと結構楽しみです。

 

頑張ってきます。

 

両親への感謝

追記:ほんまに長くてごめんなさい。

ここからは読まなくていいです。

色々長々と書きましたが、「ドイツが育ててくれた」とかカッコつけていうてますが、実際俺を育ててくれたのは父と母です。あたりまえ。

 

ことドイツのことは、これもあたりまえですけど、いつも母が関わっていました。

 

でー、もしかしたらここまで読んだ人の中に、「無理してでも母親がドイツ語話してたら変わってたんちゃう?」とか「外国人学校通えばよかったんちゃう?」と思う人もいるかと思います。

 

まぁ確かに、それは正しいです。

でも俺にとっては間違いです。

 

母にもドイツ人であるプライドはあります。

そしてそれを息子にも持って欲しいという想いはあったと思います。

ですから我が子に母国語を拒絶されることは相当なショックやと思います。

でも母は反抗期を迎えて、段階的にドイツ語を拒絶していた俺を、あえてそっとしておいてくれました。

もし無理にドイツ語でしか接さないなどの態度をとられていたら、ある意味での親子関係は破綻してたかもしれません。

彼女は、なによりも俺の人間性を育むことに真剣になってくれました。

だから苦悩する俺に、母国の誇りを押し殺してでも愛を注いでくれました。

本当に立派な母だと思います。

 

父の立派さも伝えたいとこやけど今回の内容から脱線しちゃいそうなんでまたの機会にします。

 

とりあえずドイツ最高、日本も最高。🇩🇪🇯🇵