惰性でする継続は本当に愚かか
どーもーカイです。
突然ですけど、ポエトリーリーディングって知ってますか?
んじゃあ、morohaって知ってますか?
最近モンストのCMとかでよー聞くあの声の人の本業なんですけど、メッセージ性がめっちゃ強いんですよね彼らの曲。
ていうか喋ってるんで、そらほぼメッセージですからね、あたりまえなんですけど、恥ずかしいようなことを恥ずかしいぐらいの勢いでパフォーマンスしてるユニットです。大好きです。
個人的に感動したライブ映像2014.10.12 MOROHAJP 三文錢 - YouTube
でまぁそんな彼らの曲の中に四文銭っていう曲があるんですけど、あ、貼っておきますね。
MOROHA『四文銭』Official Music Video - YouTube
曲の中でおそらく同じ業界で夢半ば、でもダラダラと続けてる同業者に喝を入れるみたいな詞があって、実際書きますと、
「惰性でする継続は愚かだ。さっさとやめたら?次へ羽ばたけ」
ってものなんですけど。
印象に残るフレーズだからこそ頭で反芻してるうちに、ん?って思ったんで「惰性」について意見します。
俺と彼では文脈が違うし、言いたいことがそもそも違うと思うんで別意見というよりは状況が違うと思って聞いてもらいたいんですけど
俺はこの「惰性で続ける」ってクソ大事やと思うんですよ。
物事を取り組むことにおいて1番難しいことは「始めること」次が「続けること」そして最後が(というか続けることのレベルアップやから3番目じゃないかも、もっとむずいかも、まぁええや)「惰性(習慣)ですること」だと思っています。
みんなはこれまでの人生で始めてからずっと続けられたことって何かあります?
歯磨きとかですかね。
でもそういうのって意識してやってることじゃないですよね。
息みたいなもんで。
惰性ですることってめっちゃ重要なことが多いと思うんですよ不可欠というか生活に欠かせないというか。
惰性になってるってことは、それは生きるために欠かせないものになってるってことだと思います。
じゃあさ、例えば曲を作って歌うことが、絵を描いてみてもらうことが、文章を書いてみてもらうことが、惰性(生きるために欠かせないもの)になってたらメッッチャ素敵じゃないですか?
ただ、時々その大切さに気がついてよし、頑張ってこって思えることが大事ですよね。多分。
そもそも生きる事が惰性やっちゅーねんって話で、生まれてからここまで、惰性できましたやんか。
途中で何かにおいて全力出そうが、それはカーリングでいうとこのブラシでおもっきり擦ったぐらいの出来事で、ストーンから羽が生えて飛び立つわけじゃないんですよ。
うん、なんやそれ、あんまいい例えじゃないな。
とりあえずね、J popの歌詞にありがちな綺麗なメッセージが人生の正解かって言ったらんなわけないんですよ。
みんな人生の節目節目で、例えば卒業式で、振り返りツイートとかするじゃないですか、んで綺麗事のテンプレに行き着いてしまう。
それはある種考えが侵されてると思います。
時に冷たくてリアルで生々しい現実感ある言葉の中にステキな意味が隠されてるかも知れん。
そういうのを探していきましょ。
その気づきを提案できる人間になりたいなって思います。
とはいえ普段考えまくってる俺も結局行き着くのはJ popにありがちリリックってのはほんまにあるあるです。胸糞悪いわ。
それで、結局何が言いたいかわからんし、明らかに気合の入ってない今回のブログですが、これは惰性への第一歩なんです。
こういうのもあっていい。
おやすみ。
偏見:漫画村叩く奴は国際交流サークルにいそう。
ライン川のほとりからどーも。カイです。
最近髭伸ばしてます。
森鴎外目指してます。ドイツだけに。
ちなみに森鴎外の子供らは元祖キラキラネームとか言われてるらしいです。
ドイツへの留学経験がそうさせたらしいです。
個人的にキラキラネームつけちゃうような親だけにはなりたくないんで、割と心配な副作用です。
なんの話やねん。
今回は漫画村とかミュージックFMとかそっち系の違法無料コンテンツについて意見を述べたいなーと思います。っていう話でした。
思い出しました。
ていうのも完全に弟のブログのネタパクってますけどね。
俺も、音楽で食っていきたいみたいな人間は周りにたくさんいますし、音楽は大好きなので自分なりに意見したかったわけです。
お許しください。
基本的にはダンと意見は一致していますし、彼は音楽をつくっている当事者でもあるので説得力があると思います。
そういうわけで興味ある方は引用リンク貼っておくんでビャーっと飛ばしてそちらもどうぞ。
ついでにダンのバンドBlume popoのMVもどうぞ。
では、そろそろ本題に入りますね。
この辺で森鴎外の天ドンぶち込めばまたダンが褒めてくれんのかなって思うんですけど、森鴎外情報に乏しいので強引にぶち込みます。マジ舞姫。
んで、漫画村やらミュージックFMやら、無料コンテンツについて、大前提に言えると思ってるのは作った人の納得が大事ってことです。
ですから、当事者の方々が対策を取るならそれは正義だと思います。がんばれ。
ダンのブログでいうとこの転売対策の電子チケットがどうこうみたいな動きとか、です。
ただ、めんどくさそーなおじさんツイッタラーやら正義感ぶったツイ廃大学生のやたらめったらそれらを叩く風潮は個人的にはいただけないです。
コンビニの募金箱には募金しますけど、大学生がやってる国際交流サークルには募金しないタイプなので。
俺はどんな正論にもどんな綺麗事にも違和感を感じます。
なぜなら、自分でそうだと思って拡散してる人間はたかが知れてるから。
国際交流サークルも、漫画村叩きも、根っこで熱意をもって発信してる人間はたかが知れてると思います。
たくさんのリツイートが、いいねが、正しさの象徴だとみんな勘違いして自分の意見を腐らせてるように思います。
正しいと思ってた先に独裁者がいたらどうします?多様性はやっぱり大事です。
間違った意見、尖った意見は必要です。
なので極端な題でブログ書いてますおなしゃす。
じゃあミュージックFMは正しい!っていう方向に頭を捻じ曲げて語ってみますね。
そもそも音楽への愛について、金も払って無いのに語んなってのはよく聞きますが、金だけ払って作者が伝えたいことの根本にまっったく興味を示さず(っていうか深いとこを探ろうともせず)フェス行ってはウェーイ、みたいのも結構キモいと思ってます。
イケメンバンドマンにめちゃくちゃ金貢ぐキッズを見てみてください。キモいでしょ?
金は払ってないけどより深く理解しようと努力し、愛を持ってその音楽や作品に向き合ってる人はいるでしょう。
不思議なもんで、残念なもんで、そういう場合もあると思います。
でも!「貨幣」には「価値尺度」という機能があります。
要するにCDや漫画についた値段は「価値」そのものなんです。
それを無料で見聞きしていては、価値を知らないのと一緒とも言えます。
まぁ同じものをただで得るか金払って得るかだけの違いやから気持ちの問題とも言えるけど、本質的にはそうじゃないですかね。
あと気持ちの問題は大事やと思います、俺らは気持ちで構成されてますから。
やっぱりただで聴いてるミュージシャンに大好きですとは言いづらいでしょう、そこが大事です。
あれ、普通に反対意見になってもうた。
マジ舞姫。
もう段々何言いたいかわからんなってきました。
とりあえず、正義とか悪って存在しないと思うんです、ただ、個人個人の中にそれっぽい基準があって、それらの共通認識が法律であったりなんだったりやと思います。
なので、共通認識である法律を犯してる「違法」無料コンテンツはやっぱり悪だと思います。
が、道徳とかそういうことにおいて大事なのは自分が自分で正義か悪かを決めることです。
世の中が決めたことをのみ込むんで納得したフリをするのはしょうもないと思います。
自分で決めましょう。
あと、ちゃんと頑張って自分らの音楽で生きていこうって思ってる奴らが近くにいるとやっぱCDは買いたくなります。
活動が苦しいならいろんな方法を考えてビジネスとして自分を売り込む方法を考えたらええのにとも思いますがそこは弟ダンくんが言及してくれてます。
ツイッターに、世間に、自分に、洗脳されないように気をつけていきましょう。
幸か不幸かどうかは自分で決めてください。
赤貝、ミル貝、森鴎外。
Kai Lukas Yokotaとドイツ
成田空港におります。
イヤホンのプニプニをなくした。
ショック。
ドイツにプニプニ売ってるかな。
というわけで、今日からドイツに行くんですけど、今回はドイツと自分について現時点で思うこととかグチャグチャと書き綴ってみます。
追記:書き終わったとこですけどマジでグチャグチャです。でもいいこと書いてます。読んで。
母がドイツ人で5人兄妹なので、おじさんおばさんがいっぱいいて、いとこもいっぱいいて、(しかも1人はギリシャ人だったりします。)
幼い頃から多言語に囲まれて育ってきました。
おかげで小学校低学年の頃まではいわゆるバイリンガルでした。
耳が肥えていたので、人より英語が得意なのも環境の力は大きいと思います。
そう思うとこれまで入試等で特に大きな苦労をしなかったのもひとえに環境のおかげだったのかも知れません。ラッキー。
ですが、今俺は実はほとんどドイツ語を話せません。
何言ってるかわかるのに言いたいことが浮かばんし、口が動かんし、ほんま、結構辛いです。
音楽聴きたいのに右のイヤホンのプニプニがないぐらい辛いです。
ドイツ語とカイの人生
上記のようになりだしたのは、いつからかなーって考えてみると、思春期というか、反抗期というか、自我が芽生える時期を節目に段階的にそうなってきたと思います。
幼稚園〜小学校低学年
「ドイツ語拒絶期」
最初は幼稚園年長から小学校低学年にかけて、
「ドイツ語拒絶期」が来ます。
それまで家でドイツ語で話しかけてくれていた母に反抗するように、頑なに日本語で返答するようになりました。
多分ですけど、初めてできた周りの友達と比べて特殊な自分の家庭環境が恥ずかしかったんだと思います。
よく大人たちには「2ヶ国語も話せていいね、かっこいいね、将来楽しみだね」なんて言われてましたが、その頃の俺にとっては日本人の友達がいる小さな社会が全て。
その中でみんなと違うことなんかちっとも嬉しくなかったしかっこいいなんて微塵も思ってませんでした。
子どもは正直なので、「ドイツ人」という言葉の響きだけでちょっかいをかけられることもしばしばありました。
今になってみれば褒めてくれてたんだなと思いますが、5年生か6年生の時女子たちに会うたび長い睫毛を指摘されて、それが嫌で、切ったこともありました笑
まぁそんな自分のどこがいいんやと、
みんなと一緒がいいなって思ってました。
みんなお年玉とかも倍近くもらってるしね。
とまぁそんな感じでだんだん家庭での会話も日本語だけになって行き、ドイツ語を話す機会といえばドイツに行った時くらいになりました。
それでもまだ低学年〜中学年の頃は大人への恥じらいがあまりないのでドイツではあってるかもわからんドイツ語を使いまくって滞在期間中に勘を取り戻してました。
小学校高学年〜中学卒業
「わかるし思い浮かぶけど話さん期」
で、高学年〜中学卒業くらいの時期なんですけど、この頃を境にドイツでもあまり自発的にドイツ語を話さなくなったと思います。
大人になりたいが故に下手なことを言えんみたいな、そういう時期です。
例えるなら、Twitterであんまり思想とか語ってたらイキリオタクとかメンヘラやと思われるから黙っとくみたいな感じですかね。違うか。
現在
「見た目は大人、頭脳は子ども期」
で、そうこうしているうちに高校も卒業してほんまに大人になってしまいました。
あの頃「特殊」を笑っていた同級生たちも必死こいてお金を貯めては海外に行くインスタグラマーです。
いや、インスタ俺も大好きですけどね。
昔は目にもとまらんかったものに憧れるって、よー考えたら滑稽でしょ。
ドイツ人やのにドイツ語話せへん方が滑稽ってか、やかましいわ。
言語力に関しては、もはや未知です。
だって話さんもん。てか出んのやって。
なんでわかんのに出んのや。不思議。
向こうの人の中にも、悪気はないんですけど、話せないからって思考も若いと決めつけて接してくる方がいます。
日本でもカタコトの外国人(に限らず若者言葉とか話が通じない人とか、最近だとみやぞんさんとか)を見て笑う風潮ありますよね、実際かわいらしいしおもしろいけど。
でも言語に関係なく他人って案外賢いですよ。
「大人」なんで、その辺のプライドは捨てて、話し始めて半年の子どもみたいなドイツ語でどこまでいけるか、自分を試したいなって今は思っています。
結局思うこと
ドイツと自分の話をしようと思ったらほぼ自分の人生を語ってました。
で、ここまではただの歴史です、長かった。
「思うこと」を言いますと、
結果的にいまドイツ語を話せない自分ですが、俺はドイツ人であることにも、日本人であることにも同等に誇りを持っています。
ワールドカップどっち応援したらええねんって感じ。
苦悩してきた歴史が、今の自分を作っています。
たくさんの顔を持つ自分が、いろんな人を理解しようとする心を持つ自分を育ててくれたと思っています。
1度も住んだことはないけど、ドイツが俺を育ててくれました。
そんな場所でこれから住むんです。
今は大切な人と離れただけの宙吊り状態でめちゃくちゃ寂しいけど、これから待つ生活を思うと結構楽しみです。
頑張ってきます。
両親への感謝
追記:ほんまに長くてごめんなさい。
ここからは読まなくていいです。
色々長々と書きましたが、「ドイツが育ててくれた」とかカッコつけていうてますが、実際俺を育ててくれたのは父と母です。あたりまえ。
ことドイツのことは、これもあたりまえですけど、いつも母が関わっていました。
でー、もしかしたらここまで読んだ人の中に、「無理してでも母親がドイツ語話してたら変わってたんちゃう?」とか「外国人学校通えばよかったんちゃう?」と思う人もいるかと思います。
まぁ確かに、それは正しいです。
でも俺にとっては間違いです。
母にもドイツ人であるプライドはあります。
そしてそれを息子にも持って欲しいという想いはあったと思います。
ですから我が子に母国語を拒絶されることは相当なショックやと思います。
でも母は反抗期を迎えて、段階的にドイツ語を拒絶していた俺を、あえてそっとしておいてくれました。
もし無理にドイツ語でしか接さないなどの態度をとられていたら、ある意味での親子関係は破綻してたかもしれません。
彼女は、なによりも俺の人間性を育むことに真剣になってくれました。
だから苦悩する俺に、母国の誇りを押し殺してでも愛を注いでくれました。
本当に立派な母だと思います。
父の立派さも伝えたいとこやけど今回の内容から脱線しちゃいそうなんでまたの機会にします。
とりあえずドイツ最高、日本も最高。🇩🇪🇯🇵
何かを始めるってこと
どうも、カイです。
やっぱなんも言わずにブログ始めたよって違和感あることやと思うんで、こじつけっぽいかもしれないですけど理由みたいなもんを書こうと思います。
絞り出したんで我ながら読みづらいです。
さーせん。
簡単にいうと「外向きになんかやりたいな」って、それだけなんですけど。
納得のいかんものを垂れ流しながら成長するのって、かっこいいと思うんですけど、今の自分がそれをやっちゃうのは許せないんですよね。
できない自分を晒すほど強くないというか。
(だからこそ弱さを見せながら強くなれる人は
本当に凄いと思います。
バンド活動してる弟や親友、その仲間、
夢に向かって突っ走る先輩方などなど、
心から尊敬しています。)
そんな俺を見て一緒に暮らしてた家族とか、
仲の良い友達から見たら俺のダラダラした感じって、歯痒いというか、とてもイライラしたと思います。
自分自身でもそうですけど。
贅沢な話ですけど、俺はもっと自分のこと、自分の考えてることを知ってもらいたい。
たくさんの仲間がそれぞれの場所で戦ってる中、俺も何かで一歩を踏み出したい。
そのきっかけとしてブログを書いていこかなって思います。
本来人間個人に「専門分野」なんて存在しないと思うんです。
だから何してもよくねって話で、絵も描くし服も作るし音楽もするし勉強もするし、
全部しないってこともあるし。
複数の選択肢を同時にかなえたり同時にかなえないっていう選択を持ったり
その何にでもなれる感が人間の良さやと思います。
ただそれを人に見てもらおうとする、評価してもらおうとすると、話はまた別で、良い悪いが大事になってくるんですよね。
だから何もしていない自分は最低だけど、評価されずに生きていけるから最強でした。
今でも何もしないってことが悪だとは思いません。
でも歯痒さはずっとあって、俺も夢を見たいし夢を見せたい。
頭で思ってることと自分の納得することが矛盾を起こしていました。
まぁ文章書くだけやから知れてますけど、「何かする」ってことが自分にとってはすごく重要だったんです。
「とりあえずやれよ」って言ってくれた母に感謝。
とりあえずやります。