眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

Kai Lukas Yokotaとドイツ

成田空港におります。

イヤホンのプニプニをなくした。

ショック。

ドイツにプニプニ売ってるかな。

 

というわけで、今日からドイツに行くんですけど、今回はドイツと自分について現時点で思うこととかグチャグチャと書き綴ってみます。

追記:書き終わったとこですけどマジでグチャグチャです。でもいいこと書いてます。読んで。

 

母がドイツ人で5人兄妹なので、おじさんおばさんがいっぱいいて、いとこもいっぱいいて、(しかも1人はギリシャ人だったりします。)

幼い頃から多言語に囲まれて育ってきました。

 

おかげで小学校低学年の頃まではいわゆるバイリンガルでした。

耳が肥えていたので、人より英語が得意なのも環境の力は大きいと思います。

そう思うとこれまで入試等で特に大きな苦労をしなかったのもひとえに環境のおかげだったのかも知れません。ラッキー。

 

ですが、今俺は実はほとんどドイツ語を話せません。

何言ってるかわかるのに言いたいことが浮かばんし、口が動かんし、ほんま、結構辛いです。

音楽聴きたいのに右のイヤホンのプニプニがないぐらい辛いです。

 

ドイツ語とカイの人生

上記のようになりだしたのは、いつからかなーって考えてみると、思春期というか、反抗期というか、自我が芽生える時期を節目に段階的にそうなってきたと思います。

 

幼稚園〜小学校低学年

「ドイツ語拒絶期」

最初は幼稚園年長から小学校低学年にかけて、

「ドイツ語拒絶期」が来ます。

それまで家でドイツ語で話しかけてくれていた母に反抗するように、頑なに日本語で返答するようになりました。

 

多分ですけど、初めてできた周りの友達と比べて特殊な自分の家庭環境が恥ずかしかったんだと思います。

 

よく大人たちには「2ヶ国語も話せていいね、かっこいいね、将来楽しみだね」なんて言われてましたが、その頃の俺にとっては日本人の友達がいる小さな社会が全て。

 

その中でみんなと違うことなんかちっとも嬉しくなかったしかっこいいなんて微塵も思ってませんでした。

 

子どもは正直なので、「ドイツ人」という言葉の響きだけでちょっかいをかけられることもしばしばありました。

 

今になってみれば褒めてくれてたんだなと思いますが、5年生か6年生の時女子たちに会うたび長い睫毛を指摘されて、それが嫌で、切ったこともありました笑

 

まぁそんな自分のどこがいいんやと、

みんなと一緒がいいなって思ってました。

みんなお年玉とかも倍近くもらってるしね。

 

とまぁそんな感じでだんだん家庭での会話も日本語だけになって行き、ドイツ語を話す機会といえばドイツに行った時くらいになりました。

 

それでもまだ低学年〜中学年の頃は大人への恥じらいがあまりないのでドイツではあってるかもわからんドイツ語を使いまくって滞在期間中に勘を取り戻してました。

 

小学校高学年〜中学卒業

「わかるし思い浮かぶけど話さん期」

で、高学年〜中学卒業くらいの時期なんですけど、この頃を境にドイツでもあまり自発的にドイツ語を話さなくなったと思います。

大人になりたいが故に下手なことを言えんみたいな、そういう時期です。

例えるなら、Twitterであんまり思想とか語ってたらイキリオタクとかメンヘラやと思われるから黙っとくみたいな感じですかね。違うか。

 

現在

「見た目は大人、頭脳は子ども期」

で、そうこうしているうちに高校も卒業してほんまに大人になってしまいました。

 

あの頃「特殊」を笑っていた同級生たちも必死こいてお金を貯めては海外に行くインスタグラマーです。

いや、インスタ俺も大好きですけどね。

昔は目にもとまらんかったものに憧れるって、よー考えたら滑稽でしょ。

ドイツ人やのにドイツ語話せへん方が滑稽ってか、やかましいわ。

 

言語力に関しては、もはや未知です。

だって話さんもん。てか出んのやって。

なんでわかんのに出んのや。不思議。

 

向こうの人の中にも、悪気はないんですけど、話せないからって思考も若いと決めつけて接してくる方がいます。

 

日本でもカタコトの外国人(に限らず若者言葉とか話が通じない人とか、最近だとみやぞんさんとか)を見て笑う風潮ありますよね、実際かわいらしいしおもしろいけど。

でも言語に関係なく他人って案外賢いですよ。

 

「大人」なんで、その辺のプライドは捨てて、話し始めて半年の子どもみたいなドイツ語でどこまでいけるか、自分を試したいなって今は思っています。

 

結局思うこと

ドイツと自分の話をしようと思ったらほぼ自分の人生を語ってました。

 

で、ここまではただの歴史です、長かった。

 

「思うこと」を言いますと、

結果的にいまドイツ語を話せない自分ですが、俺はドイツ人であることにも、日本人であることにも同等に誇りを持っています。

ワールドカップどっち応援したらええねんって感じ。

 

苦悩してきた歴史が、今の自分を作っています。

たくさんの顔を持つ自分が、いろんな人を理解しようとする心を持つ自分を育ててくれたと思っています。

 

1度も住んだことはないけど、ドイツが俺を育ててくれました。

そんな場所でこれから住むんです。

 

今は大切な人と離れただけの宙吊り状態でめちゃくちゃ寂しいけど、これから待つ生活を思うと結構楽しみです。

 

頑張ってきます。

 

両親への感謝

追記:ほんまに長くてごめんなさい。

ここからは読まなくていいです。

色々長々と書きましたが、「ドイツが育ててくれた」とかカッコつけていうてますが、実際俺を育ててくれたのは父と母です。あたりまえ。

 

ことドイツのことは、これもあたりまえですけど、いつも母が関わっていました。

 

でー、もしかしたらここまで読んだ人の中に、「無理してでも母親がドイツ語話してたら変わってたんちゃう?」とか「外国人学校通えばよかったんちゃう?」と思う人もいるかと思います。

 

まぁ確かに、それは正しいです。

でも俺にとっては間違いです。

 

母にもドイツ人であるプライドはあります。

そしてそれを息子にも持って欲しいという想いはあったと思います。

ですから我が子に母国語を拒絶されることは相当なショックやと思います。

でも母は反抗期を迎えて、段階的にドイツ語を拒絶していた俺を、あえてそっとしておいてくれました。

もし無理にドイツ語でしか接さないなどの態度をとられていたら、ある意味での親子関係は破綻してたかもしれません。

彼女は、なによりも俺の人間性を育むことに真剣になってくれました。

だから苦悩する俺に、母国の誇りを押し殺してでも愛を注いでくれました。

本当に立派な母だと思います。

 

父の立派さも伝えたいとこやけど今回の内容から脱線しちゃいそうなんでまたの機会にします。

 

とりあえずドイツ最高、日本も最高。🇩🇪🇯🇵