眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

読んでくれる人が減った

1日でも空くと久しぶりっていう感覚。

久しぶりです。

題にある通り、このブログ、最初に比べればだいぶ読んでくれる人数も落ち着いてしまいました。

自己顕示欲にまみれた青年としてはこの辺でくじけてしまっても何ら不思議ではないんですが、頑張れる理由があります。

 

ほんまに単純なことなんですけど、自分が尊敬する人たちからの褒め言葉があることです。

 

読んでくれる人が減ることと反比例して、自分に影響を与えてくれたり衝撃を与えてくれたり、面白い価値観を持ってる人たちからの賛同や共感の声をいただけるようになりました。わざわざラインくれたり、dmで教えてくれたり、ありがたいー。

 

っていうか、多くの人の目に触れるためだけならもっと小手先のテクニックも使うし、検索で引っかかりそうな内容、記事自体の有用性を高める努力をしてます。

 

でも、ありきたりな、生活のちょい役立ち豆知識みたいなんよりよっぽど価値のあるものを吐き出してる自信はあります。

 

画面上で言葉をこじくりまわす以上のことは何もしてないんですけど、

その代わり、俺の脳みその中身はできるだけ伝わるように、出し惜しみしないように、もったいねええええって思いながらも書き残してます。

 芸術家や音楽家なら、もっと比喩とか伏線とか構成で、隠して、もったいぶって、、わかった時にすげーってなる一連のカラクリを組めるところを、全部取っ払ってわかりやすくしようとしてるから、まじ勿体無い。

 

俺にとっての俺の中で正しいこと、面白いこと、を整理がついたものから垂れ流してるわけなんで、俺の価値観では、このブログを見逃してる人ってめっちゃ損してるんですけど、ま、いいや。

 

正直頭ん中ごちゃごちゃしすぎてかけてないこともめちゃめちゃいっぱいあるけど。

 

んんーだから、こういう作品でも何でもない一人の人間の意見が列挙されてる場っていうのは、できるだけ利用してほしいです。

素直にそうだと思ったところをその人の価値観の糧にして、素直に違うと思ったところも糧にして、そうして生きている人が実際何人かいると思うと感動するし頑張ろうってなります。

 

そして、そういう人たちがそれを伝えてくれること。

こんなやりがいのあることは、今の俺には他にないです。

 

でも、ごめんなさい、今回の記事をここまで読んでくれた人ならうすうす気が付いてると思いますが、横田魁、まとまった濃い内容を発信することに疲れつつあります。

 

そして同時に、「アクセス数」っていううわかりやすい指針にやられて、どれだけ身を削ろうとも他人があまり他人に興味関心を持ってないことを身に染みて感じています。

 

ですから今後は日記的なしょうもない記事もちょくちょく織り交ぜていくとは思います。

もしかしたらそこからもっと面白いものになるかもしれんし、ならんかもしれんし。。

 

続けていくことだけは諦めずに、今後も誰かに届くことを願って、頑張ります。

 

最近、インスタを新しい形で頑張ろうとしつつ、早くも挫折しかけてます。

もしよければ見てくださーい。

 

https://www.instagram.com/p/BjSqil4gfyT/

.ぶっ壊れたライターから始まり、死んだ鳥で終わる.今週は「破壊」がテーマでした.「失われること」は最も実感を明らかにする。それまでの本当の在りようは壊れる瞬間まで明らかでない。.ぶっ壊れた時に感じる、悲惨さ、切なさ。これらは、それが壊れるまでの全てのストーリーを内包していて、同時に美しさ、想い出、本質的価値も語っている。.壊れた誰かのライターは誰かのタバコに火をつけていたし、壊れたiPhoneは俺と一緒に2年以上の時を過ごして来たし、道も、建物も、ガラスも、鳩も、そのストーリーがある。.リアルに起こってる物を写す悲しい表現法。あんまりもうやりたくない。