眼球越しの私の世カイ

自分越しの「世カイ」の話

極論も極論

疑問

僕を僕たらしめるものってなんなんでしょう。


RADWIMPS / ソクラティックラブ

容姿か?なら整形してしまうと自分じゃなくなるのか?

考え方か?なら過去の自分は自分じゃないのか?

運動能力や芸術的なセンスか?なら練習して身につけた自分はどうなるのか?

 

最近ふと思うことなんですけど、

他人のブログとかsnsとか、あるいは昔の哲学者の本とか、色々、、とにかく「他人の意見」を目にするときに、自分の言いたかったこととかうまく言葉にできんかったこととかをかなり多く見かけるんです。

思いつかんくて悔しいみたいな感情とともに、俺の思いついたことなんてなんもないんやなってよく思います。

何処かの誰かが自分も知らんようなところで既に形にしているものを、俺は自分で思いついたような気になって自分の言葉にしているだけで、オリジナルなんてものは一個もないんやな、と。

 

みんなビッグバンのパクリなんやあー。


それ〇〇のパクリとコメントする方に物申す。

『「ate」で終わる単語やから2個前がアクセント』っていうのがめっちゃツボ

 

じゃあ完全オリジナルって何か

オーラとかそう言うオカルト的なもの抜きにした存在そのもの。

もっと言えばその人にしかない遺伝情報。顔や姿、形。しかないんちゃうかなあ。

整形とか外的な要因で見た目いじってたら表面に出んけど。(整形しようが遺伝情報は変わらないので表面に出なくなるだけということです、ややこしい。)

まあやし、完全に自然に、手が二、三本になってて、脳みそが隣人になってるんやったらそれは「僕」やと思います。

 

僕を僕たらしめるのはこの僕と言う存在をかたどる器の情報のみ。

 

その他の「能力」や「考え」は二次的なもの。

 

中身と言われる部分は、まっっっっっっっっっっったく同じ環境を用意して思考や発想を育てれば同じものができると思うんです。

同じ思考回路で物事を判断し、同じ努力をして、同じ成功と失敗を与えて、、、、、。

まあそんな環境を与えるの、無理なんですけど。

長年連れ添った夫婦の好みが似るとか双子は意思疎通がはかれるとかそういうのってそれに近いことなんじゃないですかね。

 

えげつない極左思想の持ち主も極右になり得るし、

俺も全く同じ環境下で生きたら坂上忍みたいになったってことですね、恐ろしい。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

 

絵とか音楽とかすご技とかそう言う類は、わかりやすく環境や努力によって身につけた2次的な能力

わかりにくいけど、常識とか思考とか心情とかその類も、全然違う人でも同じ環境で0から全く同じ教育を施せば同じ人間が出来上がるんじゃないか

一歩間違えたらあいつにも、あいつにも、あいつみたいにもなり得たと思うと恐ろしいよなマジで。

 

ってことです。これ、ブログの下書きなんですけど清書するのめんどかったんでそのまま貼りました。

 

容姿だけで好きになる人本質的じゃね?

だとすれば、顔がタイプだ、背が高くてかっこいい。

とりあえずかわいい

尊い

 

その感覚はめっちゃくちゃ本質的な気がします。

その人がその人やという本質的な「器の情報を形にしたもの」を好きと言ってるわけですから。

 

でも、その人をかっこいい、かわいい、綺麗、と思う感覚も、

自分の器を取り巻く色々によって生まれたものなんです。

一切いじってない見た目に出る部分はほぼほぼその人の全てであることは間違いないけど、それを良いとするか悪いとするか、観測できるのはまたそれぞれの価値観にまみれた人間達のみです。

 

結局

だから、結局、性格が大事派も容姿が大事派もどっちが正解とかないし醜い争いなんですよね。

お前が好きな性格もお前が好きな容姿も、お前を取り巻くものが決めた価値観やから。

 

死ぬまで、自分を取り巻くたった一つの環境に育てられて自分というものからどんどん遠ざかって洗脳されて生きていく。

それでいいというか、それしかないですね。

 

よくできた他人との違いに思い詰めた時はこの記事を思い出して、「よー洗脳された器やなあ」って笑ってやりましょう。

 

ほんまに極論でしたね。

 

チャンチャン♪

 

 

価値あるネガティブ思考[下書きシリーズ]

ポジティブ=正義みたいな風潮

ポジティブが正義みたいな風潮、根強いですよねー。

どれだけ悲観的でも最後には頑張って前を向かなあかんみたいな。

上を向いて歩こう涙がこぼれないように

的な。

 

ええやんネガティブでも

なんでがんばらなあかんねん

悩んでる人間にしかわからんものもあるやん

 

って個人的には思うし、

クソみたいな時間を過ごせば過ごすほど、

空っぽな勿体無い時期がある人ほど、魅力的な人間性を兼ね備えてるように思います。

自分を正当化したいだけかもしれないですけど。

人生順風満帆のポジティブ野郎にはあんま魅力を感じないです。

 

定期的に長文にわたってモチベーションを上げる文章をつらつら書き綴り、白黒に加工した背筋の画像をアップするアスリートより、

時々「だるい」の一言だけを発する謎に満ちた人の方が話してみたくないですか?

 

ネガティブの価値

俺自身、考えてみりゃ本気で何かしたことってそんなにないかもしれん。

結構ネガティブやし、時間の使い方の無駄さは半端ない。

てか基本自己嫌悪がすごいです。

何かをしたい自分と、考えるだけで勝手に結果を悟って動き出せず、それを責める自分。

何もしていないってことは他人から評価されるための鎧がほとんどないむき出しの状態やから、自分の気持ちを誤魔化しようもない。

感情が暇すぎて悩みに全振りしてしまい、自分の小ささに気がついてしまう。

 

そういう時に、あ、生きてる意味ってないんかもしれんとか思いがちなんです。

(生きてる意味はあるって今は思ってるけど)

 

でもそういう空虚な時間で得た思考や思想や発想は我ながらすごいと思います。

 

「もっと考えると」みたいな感じで悩みをつきつめることができます。

以前、(確かこの時も色々考えに考えてふと書き留めたんやと思いますけど)こんな下書きを残してました。

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(うわ充電やば)

人に言うことでもないし、「下手に知名度があるモデルやバンドマン」に嫌な顔されそうやから自分の中に留めてたんですけど、あくまで俺がその立場やったらそう言う勘違いをしてしまいそうってことですからね。

承認欲がすごいからこそ、それが満たされてしまうと弱くなってしまう気がするんです。

ここでも矛盾が出てきてしまったけど、俺は矛盾を背負って生きてるから。いいの。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

 

「悩める」ってめっちゃ価値のあることやと思うし、

その悩みを抱けない人からしてみればとても贅沢なことやと思うんです。

さらにはその苦しみを共有できていると思い込んでしまうと、

もうそれでええやん、解決。ってなってしまうじゃないですか。

貴重な自分の葛藤が、生まれるはずだった思考や発想が、偽物の共感によって潰えてしまう。

 

そういうことに俺は気づきました。

ネガティブ故に。

 

納得のいかない自然の摂理

ポジティブがいいとかネガティブが悪いとかそんな価値観はクソやと思います。

でもネガティブによってたどり着いた思考や発想を次にどうするかって言うと生きるために使うわけです。

結局何もしないと生物は生き続けてしまうんです。本能によって。

 

これが地味に俺の中の謎で、生か死か、この二択が存在しているはずやのに、

「何もしない=生」ってことは、神に?宇宙に?まあ何かしらに、ポジティブであることを強いられているような気がするんです。不本意やなあ。

 

でも、まあしゃあないですよね。

実感として死ぬのは怖いし、嫌やし、悲しいし、そこに抗う努力は虚しいだけです。

自殺なんて、「死に対してポジティブ」でなきゃいけないわけです。変な言葉やけど。

 

まとめ?

じゃあ生きましょう。と言うか、生きることになるでしょう。

そうすると、

ネガティブが精神衛生上良くないってことははっきりしてるわけやし、

それが体に悪影響を及ぼすこともわかってる。

結果、生きてる限り最終的に人間はポジティブに向かわなあかんし、

そうじゃないと生きてることそのものが辛くなる。

どれだけ悲観的でも最後には頑張って前を向かなあかんわけです。

 

みて。俺の嫌いな文言を後押ししてしまってる。

 

でもこの長い回り道を経てこの文言を見た人には、同じアンダーラインが引かれた文章でも意味合いが全然違うことに気づいていただけると思います。

 

自然の摂理として人間は最終的にポジティブに向かうだけのことであって、

俺としてはそれが正義とも悪とも思いません。

下を向いて歩いてもいいし、いくら振り返ってもいいし。

 

俺は、ネガティブを肯定する存在としてい続けたいと思います。

その人が次のポーズとしてポジティブをとることになるように。

どこまでもネガティブでも、悪いなんてことはない。

と、あえて言える存在でありたいです。

 

これは他人への救いでもあり、自己肯定でもあります。

 

ネガティブでいよう。

 

 

 

読んでくれる人が減った

1日でも空くと久しぶりっていう感覚。

久しぶりです。

題にある通り、このブログ、最初に比べればだいぶ読んでくれる人数も落ち着いてしまいました。

自己顕示欲にまみれた青年としてはこの辺でくじけてしまっても何ら不思議ではないんですが、頑張れる理由があります。

 

ほんまに単純なことなんですけど、自分が尊敬する人たちからの褒め言葉があることです。

 

読んでくれる人が減ることと反比例して、自分に影響を与えてくれたり衝撃を与えてくれたり、面白い価値観を持ってる人たちからの賛同や共感の声をいただけるようになりました。わざわざラインくれたり、dmで教えてくれたり、ありがたいー。

 

っていうか、多くの人の目に触れるためだけならもっと小手先のテクニックも使うし、検索で引っかかりそうな内容、記事自体の有用性を高める努力をしてます。

 

でも、ありきたりな、生活のちょい役立ち豆知識みたいなんよりよっぽど価値のあるものを吐き出してる自信はあります。

 

画面上で言葉をこじくりまわす以上のことは何もしてないんですけど、

その代わり、俺の脳みその中身はできるだけ伝わるように、出し惜しみしないように、もったいねええええって思いながらも書き残してます。

 芸術家や音楽家なら、もっと比喩とか伏線とか構成で、隠して、もったいぶって、、わかった時にすげーってなる一連のカラクリを組めるところを、全部取っ払ってわかりやすくしようとしてるから、まじ勿体無い。

 

俺にとっての俺の中で正しいこと、面白いこと、を整理がついたものから垂れ流してるわけなんで、俺の価値観では、このブログを見逃してる人ってめっちゃ損してるんですけど、ま、いいや。

 

正直頭ん中ごちゃごちゃしすぎてかけてないこともめちゃめちゃいっぱいあるけど。

 

んんーだから、こういう作品でも何でもない一人の人間の意見が列挙されてる場っていうのは、できるだけ利用してほしいです。

素直にそうだと思ったところをその人の価値観の糧にして、素直に違うと思ったところも糧にして、そうして生きている人が実際何人かいると思うと感動するし頑張ろうってなります。

 

そして、そういう人たちがそれを伝えてくれること。

こんなやりがいのあることは、今の俺には他にないです。

 

でも、ごめんなさい、今回の記事をここまで読んでくれた人ならうすうす気が付いてると思いますが、横田魁、まとまった濃い内容を発信することに疲れつつあります。

 

そして同時に、「アクセス数」っていううわかりやすい指針にやられて、どれだけ身を削ろうとも他人があまり他人に興味関心を持ってないことを身に染みて感じています。

 

ですから今後は日記的なしょうもない記事もちょくちょく織り交ぜていくとは思います。

もしかしたらそこからもっと面白いものになるかもしれんし、ならんかもしれんし。。

 

続けていくことだけは諦めずに、今後も誰かに届くことを願って、頑張ります。

 

最近、インスタを新しい形で頑張ろうとしつつ、早くも挫折しかけてます。

もしよければ見てくださーい。

 

https://www.instagram.com/p/BjSqil4gfyT/

.ぶっ壊れたライターから始まり、死んだ鳥で終わる.今週は「破壊」がテーマでした.「失われること」は最も実感を明らかにする。それまでの本当の在りようは壊れる瞬間まで明らかでない。.ぶっ壊れた時に感じる、悲惨さ、切なさ。これらは、それが壊れるまでの全てのストーリーを内包していて、同時に美しさ、想い出、本質的価値も語っている。.壊れた誰かのライターは誰かのタバコに火をつけていたし、壊れたiPhoneは俺と一緒に2年以上の時を過ごして来たし、道も、建物も、ガラスも、鳩も、そのストーリーがある。.リアルに起こってる物を写す悲しい表現法。あんまりもうやりたくない。

 

 

 

ファッション英語と洗脳被害者

 

インスタでアルファベットばっか並べるエセグローバル人間、きしょいですよね。

めっちゃわかります。

というかもはやそれ俺の意見。

 

ハッシュタグを駆使して、要りもせん外国人のフォロワーを獲得しては、コメント欄にくる「اللغة العربيالعَرَبِيَّة!!!🔥🔥」みたいなコメントを無視する日々を過ごす人たち。

 

「ぶんなよ」ってなりますよね。

 

でもなんでそう思うんですかね。

そういう人たちがファッションで英語やら韓国語を使ってるっていうのも多分にあるとは思います、てか、俺も主にはそういうファッション野郎のことを言ってます。

 

でも、自分たち日本人を取り囲む価値観がそう思わせてるところもあると思います。

 

目的手段か、みたいな話がありますが、「アメリカ人かっこいいー韓国人かわいいー、外国語話せるようになりたいー」って、それが目的になってる人たちがしょうもないっていうのはいうまでもないと思います。

 

じゃあ、手段として外国語を用いるのはどうかというと、それも俺の意見とはちょっとニュアンスが違って、言語は「道具」やと思うんです。

あえてそういう言い方をするのは、言葉をそんな大層なものとして捉えたくないからです。

人がそれぞれに捉えている言葉のニュアンスは十人十色で、一つとして同じものはありません。と、思っています。

言葉の捉え方がみんな同じなら俺の心の内を全部言葉にしてるこのブログはきっと完璧に理解されるし、俺がどんな人間かもみんなわかってくれるんやと思います。

そんな世界がいいなあ。

 

でも現実はそうじゃなくて、言葉を形にして発している方が、あいつは気難しい、とかなんやポエマーみたいなこと言いおって、とか、これまた十人十色の捉え方をされて、その捉え方の数だけの横田魁がみんなの中に生まれるんです。

 

だから大分遠回りしたけど何が言いたいって、言葉なんて箸があって、フォークがあって、ナイフがあって、、、みたいな中の一つにすぎんものってこと。

 

でも道具を増やせばできることは増えますよね。

 

一個一個の道具は大したものじゃないけどいろんな道具を使える人は絶対重宝されます。

でも謎に、日本は未だに箸ばっかり使いたがる。丼ものをレンゲで食おうとしたら、「箸でかっこめよアホ」ってなる。(実際はならへんけどあくまで比喩です)

 

っていう例えを経て言うと、日本には、見せびらかすために道具(外国語)を身につけてる人がいて、一方で、それがきしょいからなるべく全てを一つの道具(日本語)で完結させようとする人がいる(こっちが大多数)。と思います。

 

で、ずっとそうやから、ファッションとしての言語に興味ない人たちはみんな日本語で完結する社会を生きることにしか目がいってないように思います。

 

俺はどっちも好きじゃないです。

 

何か一つの趣味を取っても、英語っていう道具を一つ持ってるだけで何十倍もの情報が入ってくるし、自分の好きなものについてやったら、なおさら幸せになれます。マジで。

 

才能持ってる人いっぱい知ってるけどみんなほんまの意味では全然興味ない。

ある意味で、それだけで完結する社会によって洗脳されてると思います。

数字だけで見れば自分の道具が通用するのは70分の1ちょっとやのに。

色々偉そうに哲学語っててもどんだけ目の前の環境と実感に縛られてるかってことですよ、自分に向けてもほんまにそう思います。

何より、自分の好きな人たちが、尊敬する人たちが、英語が歴史の中で覇権を握るようになったっていう理由だけで外に出れんし出ようともしないのは、ほんまに悔しいです。

 

70億人の中から君一人と出会えた奇跡

より

69億9999万9999人に出会えなかった切なさ

に目がいってしまう。

んなことない?

 

その上で日本のみんなが大好きやけど、実感に縛られるのは勿体無い気もする。

 

この辺の揺れ方自分らしいなって我ながら思う。

 

実感に人は動かされて生きてるからこそ実感を育むのも必要かなと思います。

 

書いておきたかったテーマなだけに、うまくまとまらんかったのが悔しいけど

言葉なんてそんなもんよな。

 

今後にも、これまでにも、言いたいことは散りばめてあるのでよければ拾っていってください、お願いします。

ちなみに最近のお気に入りは

 

kailyokota.hatenablog.com

 この記事です。

 

気になることや感想や悪口などあれば、質問箱もお願いします。

実名でコメントしてくれたらより嬉しいですけど、匿名の正直な言葉も嬉しいです。

peing.net

 

 全然関係ない写真を貼っておいて。じゃあね。

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昨日一昨日 オランダ、アムステルダムに行きました

 

 

 

 

 

その頑張りファッションやろ[下書きシリーズ]

長い時間空きましたが、下書きシリーズ第二弾です。

前回の貼っときますんで、よかったら。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

じゃ、早速今回取り上げる下書きです。

 

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確かこれは、サークルに、テスト勉強に、バイトに、、って感じで色々追われて、よし頑張らななって奮起してた時に頭の片隅にあったことを書き留めたものです。

 

なんでこんなこと思ったんかはもちろん理由があって、ざっくりいうとバンドのライブのMCです。

 

そんな頻繁にではないですけど高校生の頃からちょくちょくライブハウスでいろんなバンドのライブを見て、MC聴く機会は割とあったんですけど、かっこいいバンドのMCって大体めっちゃ感動するんです。

 

信念がこもってて、熱を帯びてて、客の熱い視線が注がれてて。

でも時々出番を終えたそのMCの主が喫煙スペースでヘラヘラしてんのとか見かけるんですよ。

まあそこまではどうでもいいけど、『あんなこと本気で言ってないし、真に受けんといてや』みたいな保身が透けて見えるようなうっすい笑い声が聞こえてくるんです。

 

全員がそんなんじゃもちろんないしタバコ吸う人間を悪いとは全く思いません。

 

そういうのを見ると自分が悔しくなるんです。

『信念がこもってて、熱を帯びてて、客の熱い視線が注がれてて。』

なんて思ってしまった自分が。

 

これはこれで甘い発想ですけど、

他人への影響力があって、あんな貴重な場に立ててそんな感じなんかよ、俺と代われ。って思いました。

 

でもいざ、

大学のサークルで、ボーカルをすることになって、ほんまに熱い気持ちを言葉にしようと思った時、かつてのあのバンドのボーカルみたいに上手く言葉にできんくて、めっちゃ悔しかったです。

 

同時に「あ、こんなもんなんかもな」とも思いました。

 

熱さの奥底に冷めた目で演じてる自分がいて、それがみんな上手くて。

見てる側は感動している自分を演じていて。

どんだけ心の奥底に思いがあって熱くなっててもえ?ってなることをすればえ?って反応が返ってくるし、、

なんで伝わらんのやろって、これは現在進行形で思うことです。

が、見せ方が下手な俺に問題があるってことはわかってます。

 

結局、場慣れさえすれば感動を作ることはできてしまいます。

 

あの時みたあのボーカルは人様の真似事でもなく、サークルに用意されたステージでもない所に偽物の言葉で、のし上がってました。すごい。

人は偽物も本物も関係なく感動するものに感動してただけでした。

 

見る側からすれば「頑張ってる」のも「頑張ってるっぽい」のも大差ないこと。

だから、天知る、地知る、我知る、お味噌汁、みたいな言葉ありますけど、頑張った頑張ってないなんて自分の納得が一番大事やし、

これだけ時間かけたからとかこれだけ苦労したからとかそんなこと評価に値しないんです。

そこを評価してやれんのは自分だけやから。

 

だから自分に向けて本物の努力をして、世間に向けてそれをうまく見せる。

 

そうするしかファッション努力家に勝てる自分は作れんと思ったって話でした。

 

 

 

 

 

 

いつか迫られる選択

前回に引き続き、エヴァに絡めて話します。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

 

エヴァンゲリオンと言うアニメを通してすげーなーって感心させられる部分はいっぱいありますが、ストーリー面(設定?台本?)でいうと、やっぱり人類補完計画っていう設定の発想は度肝抜かれました。

 

最初にまともにエヴァを見たのは小学生のときかな?

ただのかっこいいロボットアニメっていう印象でした。

あんま細かいとこの意味はわからんかったけど、意味わからんなりに「使徒っていう敵が来る、エヴァっていうロボットに乗って戦って倒す」っていうシンプルな対立構造を楽しんでたと思います。

 

そこから時は流れ、、、

思春期を経て、様々な悩みや葛藤を経て、経ては経て、経続けた結果、21になりました。私も、経たなあ〜。

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そうして色々経た自分が久しぶりにエヴァに帰ってきたらやっと意味がわかった部分とか、腑に落ちた部分がかなり増えていて感動したんです。

 

自分の中のどういう知識や考えが、人類補完計画に共鳴したのか、書きますね。

今回は、いつもの小っ恥ずかしい思想とかじゃなくてただの面白い話にしたいなあ。

 

じゃあまず人類補完計画を説明する前に、生物について。

生物って色々いますよね。

ヒト、犬、猫、鳥、虫、魚、、、、、、もっと細かく分類できるけど。

それらのすべての「種」には決まった2通りの終わりのシナリオ(運命)があります。

つまり人間にもいずれ訪れるものです。

 

それは、進化絶滅

要するに今存在する全ての「種」は進化を選び形を変えて生きていられているわけですね。すごーい。

 

で、どうやらその運命の選択は、大体ですが、20万年に一度のペースで迫られるらしいです。(詳しいこと調べればいくらでも揚げ足取れるほどざっくりした情報)

20万年のスパンで一つの種は滅びるか進化していく、と。

恐竜とかもそうなんかな、多分。

 

ほんで、どうやら我々の種であるホモ・サピエンスは種が確立してから約20万年が経とうとしてるみたいです。

ぼちぼち20万歳の誕生日なんです。

我々もだいぶ経ましたね〜。

 

この長沼毅さんって人の話の受け売りです。

文系脳でも理解しやすくて簡単にロマンを感じられる話を展開してくれるんで結構おもろいです。

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この話を始めて聞いた時、やべえって素直にそう思いました。

で、この先生が言ってるように、俺らは考えて選べる唯一の種なんやから考えてみよう、と。

 

結果俺がたどり着いたのは、「自分たちの力で進化するしかない」

でした。

自然が俺たちを作り出し、知恵を与えた。

なら、俺たちの起こす行動は全て自然の一部です。

人為=自然の一部

です!環境破壊は、自然が生み出したものです。

 

とすれば、人間の持てる技術と知恵で自分たち自身を進化に導くのは何もおかしくないんじゃないかと、そう思いました。

 

ぶっちゃけ「医療」なんてほぼその領域です。

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じゃあどんな存在を目指すのか。

どうせならもう争わずに分かり合える存在がいいよなー。

理性と本能の同居とか、矛盾を抱えて生きるとか、嫌いは好きの裏返しとか、そういうめんどくさい今の自分たちを、どうすれば争わずにより優れた種にできるのか。。

 

一つは人工知能を取り込むことです。

さあどんどん胡散臭くなってきたよ。

 

でも冷静になって考えて見たら、人間のめんどくささとか非合理性ってやばない?

最終的には命を奪う能力をチラつかせてお互いに牽制しあってバランスをとることでしか共存できない。

無能やん。

全然知的じゃない生命体です。

 

その点人工知能はどうかというと、ま、よくはわからんのですけど、

どっかの時点で人間の知能を越すと言われています。(超知能、知能爆発、シンギュラリティ、、、、、ってやつ?)

よくわからんなりに、シンギュラリティが起こるってことはこれまでの産業革命とは比にならんほど強大な力を前にするってことやと思うし、それらとの共存、もっというと融合、進化があってもいいんちゃうかなーって思うわけです。

 

でも実感が湧かんしな、所詮SFの世界の話なんかなー

なんて思っていた自分にしっくりきたのがエヴァンゲリオン人類補完計画です。

 

人類補完計画とは

これ以下はすべて俺の解釈です。ガチ勢の方、いじめないでください。

 

エヴァの世界では、人間は皆ATフィールドと呼ばれる他人と自分を隔てる心の壁を有しており、それによって人としての体をなしています。

ATフィールドが崩れると(死ぬと)人はLCLっていう汁(色々あって生命がなかった頃の地球の海に充満していた生命の源のスープ)と魂に分離します。

 

で、俺の解釈では、人類補完計画っていうのは、

全人類をまずぶっ壊してそれらのLCLから誕生した新たな器に、分離したすべての魂を集約して一つの新たな生物として進化するってことやと思います。

 

だからそこには自分も他人もなくて、自分の価値ガーとかあいつの心の壁ガーとかで悩む必要もないんです。

全人類のお互いの魂がお互いの魂を「補完」し合ってるから。

 

俺が想像してた、人為的な進化の一つのモデルなんです。

しかも他人と本人っていう概念がなくなることで感情的な部分でのあり方も大きく変わるっていうとこがミソですね。

それでも「あなたがいて僕がいて」っていう世界を選ぶのか、みたいなとこで作品の深みを助けてます。

すげーなあ。

 

この、人類補完計画の前提になる、「人の体は魂の器説」みたいなんも、死んだらどこいくんやろうってのを考えまくって思ってた一つの答えに近かったからめっちゃ収まり良く、スッキリする。

 

グダグダしてきましたね。

こんなぶっ飛んだ話じゃなくてもいつか迫られることに変わりはないと思いますし、解決しなあかん問題はなんの悪気もなく生きてるつもりでも山積みです。

 

何より、やっぱ知的好奇心をくすぐられんのってワクワクしません?

 

っていうそれだけのことです。そう。

「おもろいだけ」ってことへの憧れが強い。

 

エヴァについては、色々言われてるラストシーンについての解釈とか、結局何が伝えたいんやろうとか語りたいことは後を尽きんのやけど、ひとまずは今回のこれで終わります。

 

あ、質問箱やります。

ドイツでの生活のこと、しょうもないこと、しょうもなくないこと、などの質問。

質問だけじゃなくて誹謗中傷、ブログの感想、悩み相談、、なんでもお待ちしてます。

普通にツイートとかで返事するかもやけど、なんか動画とかにして答えれたらいいなとも思ってます、あ、内カメ割れてるしむりや。

peing.net

 

じゃあ今日はもう疲れたんで経ます。おやすみ。

矛盾だらけが1番筋通ってる

久しぶり

もう10日以上空いてしまった。

その間、暇な時とか暇じゃない時にいろいろ考えることがあって、「あー、これは書いときたいなー」とか思ってたんですけど義務感で動くのは嫌やったから。まぁぼちぼち。

 

とはいえ今回はテーマを決めてから書くわけじゃないからもうしばらくうろうろする。

 

ブログってアクセス数が見れるんですけど、意外と結構見てくれてるんやなあってグラフを見るたび思います。

ただまぁ、他人に語りかけてるっていう実感は正直なくて、案外「数字」って力無いんやなーって思いました。

 

そんな時に、親友が「ブログ読んでる」って個人的に言ってくれて、そこに「頑張れ」って言葉があったわけでもないし、ただ、そいつが読んでるっていう事実を知っただけやのに、数で言ったらアクセス数の方が数千倍の読者を証明してるのに、めっちゃ感動しました。

 

よし、んじゃ決めました、他人と自分について話します。

 

考えすぎると陥りがちな勘違い

 この、他人と自分との関係こそが自分で感じる自分の価値を決めてるんちゃうかなって最近思います。やから自意識過剰で承認欲求の高い俺にとってはめっちゃ大事なことです。

 

知る限りあんまいないですけど、俺みたいな、ある意味で超ナルシストな尖った奴って、「自分は自分」とか「芯」とか、そういう確固たる存在であるべきやってことに固執してることがあります。

自分を縛る勘違いというか。

だからいい加減でゆらゆらしてる他人とか世間にも厳しいし、イラついてしまう。

 

そんな自分の考えに対して最近「なんかちゃうな」ってよー思うんです。

 

そもそも俺は確固たる意志なんて持ってないし持つつもりもない、常に人には多面性があってそのうちのいくつかがアウトプットとして今のその人をかたどってるだけ。

 

だからいくら正論が吐けるとかよりも、その時々の自分が納得した言葉を吐けることの方が大事やと思います。

納得できるような言葉が出てこないことすらも。

 

ほんまの意見は何なんって誰かに責められて考え込むようなことがあっても胸を張って「わからん」って言えばいいと思うし、そいつに合わせた答えを用意してもいいと思う。

 

全部ほんまの自分でっしゃろ。

 

俺自身、自分はいろんな表情を持ってると思います。

家族用、地元の友達用、大学の友達用、先輩用、後輩用、親友用、先生用、ドイツの人用、可愛い女の子用、、、、、、あげてたらきりがない。

ひょっとしたら人間一人に対して一人の自分。

それらがどこかで矛盾を起こすような顔でも全部本物で偽りはないです。

よろしく。

 

っていう意見を全部否定する自分が明日には生まれていてもそれは不自然ではなくて唐突な自然なんやと思いました。(無限ループ)

 

矛盾を背負って生きていく。

 

でしゃばるな自分、他人は賢い

俺が思いつくようなことは みんな思いついてる。

俺が抱えるような苦悩は みんな抱えてる。

っていうのが俺の他人に対する基本的なスタンスです。

6割は本気で思ってて、4割はそう思うようにしています。

誰かを見下す気持ちや、表面上のキャラクターや言葉選びで相手を判断することは、結果的に自分の存在意義を地に落とします。

下で述べますが、他人=自分に価値を与えるもの。

 

あと、どんな人でも小一時間話してみると大概「あー賢いなー」って思うし、

俺が言うような思想、哲学も、潜在意識的な部分で共鳴してるんやろなって思います。

 

いわゆるアホとか浅い奴ってのは表面的なアウトプットの能力が絶望的なだけで、本質的な部分で人がわかりあえないことってあんまり実はないんちゃうかと思います。

(断じて俺は話し合いで何でも解決みたいなお花畑ではありません。あー説明むず。政治的意見は語りたくないから何も言わんけどそう言うことじゃない、わかって。)

 

エヴァが形にしてくれた

少しそれて、

最近エヴァのアニメと旧劇場版を全部見終わって、めっちゃ感動したというか触発されているというか、余韻に浸ってます。(詳しくは別の記事にします。)

あのアニメってめっちゃ雑にいうと、「自分の価値とは」ってことにまとめられると思うんです。俺個人の感想ですけど。

 

 でそのエヴァの中で(アニメシリーズのラスト2話ぐらいやったと思います。)

主人公シンジが、他人からの自分の見え方(認められたいなどの思い)、自分の価値について悩み、自分の中の、自分や他人のイメージとやりとりをかわし、おかしくなるところがあるんです。

 

まるで何処かの誰かの詩みたいでビックリしました。

 

kailyokota.hatenablog.com

 

もうほんまにこんなんで、

「僕はエヴァに乗ることでしか誰にも認められない。

他に存在する価値がない。『価値が欲しい』」

って、まさにそんな感じなんですよ。

 

めっちゃわかるー。

俺にはエヴァすらない。

でもみんなそうじゃない?

 

みんなそうなんです。多分。

 

結局これって他人に自分を委ねているわけで、

自分以外何もない世界では自分の存在すら不確かなんですよね。

求めているものは、「自分の価値」なんですけど、それは他人が認めることによって初めて成立するっていう。

 

俺はあくまで自分のために、行動を起こしている、っていう納得のためにブログを書いているけど、親友の「ブログ読んでる」っていう言葉がなかったらその価値も不確かで不安なものになってしまう。

 

だから他人、ありがとう。

俺はこんなにも自分が自分であるということに価値を欲している。

それは俺からみんなへの愛の強さの証でもあると思ってるし、逆も然り。

 

自分の力だけで、自分には価値があると思い込んで納得して悩まずに生きられるような強い人間はおらんと思います。

てか、自分で自分に納得することは果たして「価値」と呼べるものなのか。

 

伝わってる自信はあんまないけどまいいです。

もし暇やったらエヴァシリーズ見てみてください。

「何言ってるかあんまわからんかったし難しかったけどなんかすごかったー(棒)」

っていうその感覚をみんなにも保存してもらいたいです。

 

疲れた。終わろ。

今回のブログ、ほんまわかりにくいんで雑にまとめます。

  • 正論や芯の通った意見なんてない。俺は矛盾だらけの人間で、それが人らしさやと思う。
  • 価値がないと生きるのは辛い。それは他人と自分に線を引くものでもあるけど、他人がいることによってしかありえない。みんなありがとう。
  • エヴァはおもろい。